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「オーケストラ・ビルダー」は絶滅した

自分のダイアリーを読み直してみたら、2年くらい前に「オーケストラ・ビルダー」について書いていた。そのきっかけはアンタル・ドラティが指揮したチャイコフスキー「悲愴」を聴いたからだったのだが、今日同じ録音を聴いて、また同じように「オーケストラ・ビルダー」を思い出してしまったので、適当にダラダラと書いてみる。自動書記。

かつてのオーケストラには古き時代の職人肌な演奏家がたくさん含まれていただろう。収入の少ない若手は良い楽器を買うことが出来なかったかも知れない。楽器の機能の変化がある。新しい作品について行けない演奏家が居たり、聴いた音を弾くことは出来るが音楽的な知識は皆無な演奏家も居たことだろう。そんなピースの合わないパズルを一つの絵にしていくような営みが、かつてのリハーサル風景だったのだと思う。大指揮者がリハーサルで演説をぶる。職人肌でまとまりのない演奏家をたばね、啓蒙して、作曲家の考えたことに近付こうとしたり、指揮者が信じていることを実行していくには、そのような行為とリーダーシップが求められていた。メンゲルベルクの逸話などはその代表的な例だ。トスカニーニオーマンディ、ライナー、フルトヴェングラー、色々あるはず。居るだけで指揮をするとか。今、オーケストラに属する演奏家の殆どは音楽大学の出身。高等学校までの教育も一通り吸収しているはずだろう。演奏技術のメソッドも楽器ごとの体系化されている。やっていることにそんな違いは出てこない。オーケストラに含まれる演奏家一人一人の違いは、かつてのオーケストラに在ったほどの極端さはなくなっているはずだ。それに指揮者が知識の面でアドバンテージを持つことはなくなった。それなりにまとまった音が鳴るオーケストラばかりが増える。

「オーケストラ・ビルダー」という言葉が聞かれなくなったのは、そんな理由なのかなと。それなりの音が鳴るものだから、指揮者がすることは殆どない。整理をしないと聴けたものではなかったようなオーケストラは、さすがにもう存在しないだろう。技術的な問題を隠蔽するための養生も必要ない。「オーケストラ・ビルダー」は絶滅した。

Youtubeで検索してみたら、アンタル・ドラティの映像があった。彼が指揮する姿を見るのは初めて。指揮映像後のインタビューで、意外に高い声で笑えてしまった。