「オーケストラ・ビルダー」という言葉
かつては「オーケストラ・ビルダー」という言葉が、それなりに使われていたように思う。アンタル・ドラティとか、シャルル・デュトワなんかにこの言葉を引いて賞賛をする人が多かった。ドラティはアメリカのオーケストラを渡り歩いては、それぞれの評価を上げたような印象がある。デュトワが訪れた後のモントリオール交響楽団の変貌ぶりは、彼のオーケストラ・ビルダーとしての力量を証明していることになるのだろう。バーミンガム市立響でのラトルの仕事ぶりも、様々な企画の立案者としてだけでなく、オーケストラ・ビルダーとしての役割も小さくなかったはずだ。オスロ・フィルを有名にしたヤンソンス、ミネソタ管を再生させた大植英次、エド・テ・ワールトなんかもこの部類か。
それでも最近は「オーケストラ・ビルダー」という言葉をあまり聞かない気がするのは何故だろう。力量を上げる必要がないほどオーケストラのレベルが上がったからか? と考えてみて、「それは有り得ない」とすぐに否定する僕自身のすれ具合に悲しくなってしまった。指揮者の入れ替わりが早いからだろうか? それはあるかも知れない。オーケストラに色を与えていくほど、付き合えない。
それでは色とは? 企画立案だけでなく、サウンドとしての長期的計画を持っているオーケストラがどれほどあるのだろうか。気になってきた。ベルリン・フィルやウィーン・フィルなどの歴史ある有名オーケストラならば、守っていく伝統や音色というものが確固たるものとして共有されていて、それを体現できる者が集まってくる。聴衆もその個性を理解している。では伝統のないオーケストラはどうしたらいいのだろう。伝統のない日本は。
また今度。