Profile Archive

| 作編曲 | Music | Classic | Jazz,Inst. | Pop,Rock | Soundtrack |
| | メモ | 呟き | テレビ・映画 | Hatena | 未分類 | 購入CD | 購入本 | 購入DVD |

京都フィルハーモニー室内合奏団第146回定期公演「武満徹 没後十周年 武満徹の世界」

行ってきました。

http://homepage2.nifty.com/kyophil/

場所は京都コンサートホール小ホール(アンサンブルホールムラタ)、プログラムはこの5曲でした。

  • 雨ぞふる Rain Coming(1982)
  • カトレーンII Quatrain II (1977)
  • トゥリー・ライン Tree Line (1988)
  • そして、それが風であることを知った And then I knew 'twas wind (1992)
  • 群島S. Archipelago S. (1993)

室内オーケストラ向けの作品と、室内楽が盛り込まれていた。この前の京響の演奏会(http://d.hatena.ne.jp/hrkntr/20060218/p4)でも岩城宏之トークをしていたが、今日、指揮とピアノをされた野平一郎も舞台転換の間に、武満徹への思いやプログラムの説明をされていた。

  • 亡くなって10年も経ってしまった。
  • 道半ばで倒れられた武満さんだが、全世界レベルでこれほど受け入れられている日本の作曲家は稀有である。
  • 生前・死後問わず武満さんの作品は演奏されており、それに全作品がCD化されるなど、注目度は高いままである。
  • 死後の10年で、研究の分野も盛り上がっている。
  • 武満さんの遺したものは多いが、その中では文章も感受性にあふれている。

といったことを、野平さんは痛切な面持ちで語られた。武満徹のような現代作品の場合、演奏者の作曲家への思いを、こういったプレトークで知ることが出来ると、聴き手としては何かを受け取ろうとする準備が出来ると思う。会場に居た他の人はどうか分からないが、僕は「野平さんは武満徹の音楽を好きなんだな」「武満徹のことが好きだったんだな」と、思いながら時間を過ごすことができた。

雨ぞふる Rain Coming

正直なところ、失礼とは思いながらも京都フィルの技量がどんなものなのか不安でもあったのだが、この曲の冒頭から暫く経ったあたりで、その不安は払拭されてしまった。この小さなホール、耳に届く音の直接音が占める割合もかなりのもののはずだが、終始緊張感の持続する佳演だった。何よりも、コンサートマスターが素っ気無いアクションながら表情的な音を出しており、この小さな楽団の牽引力となっているように感じた。同じ音形を異楽器で重ねて演奏する部分などで、若干のズレがあるにはあったが、そんなことは気にならないほどの充実した演奏。ピアノの音量が全体的に大きいのではないかと感じたが、これはピアニストでもある野平さんの解釈なのかも知れない。

カトレーンII Quatrain II

  • 作曲:1977年
  • 初演:1977年3月13日に、タッシにより初演。
  • 委嘱:タッシ

この曲は、1975年にタッシ*1とオーケストラのための書かれた「カトレーン」を、独奏楽器のみの編成に書き直した作品。この4つの独奏楽器編成はオリヴィエ・メシアンの「世の終わりのための四重奏曲」と同じものであり、タッシ自体、メシアンのこの曲を演奏するために結成されたと聞いている。オーケストラ版と比べると、音色面での貧しさは致し方ないが、それぞれのフレーズの始まりと終わりや、弦楽器奏者がどういった奏法で音を出しているか等が確認できて興味深かった。後からこの曲の成り立ちについて調べてみると、この作品は「4」という数字が創作の基点として存在しているとのこと。独奏者の数、小節数、音程的な関係等。4小節ごとにフレーズを繰り返す場面もあるようで、そう言われれば、オーケストラ版よりもフレーズの息の短さを感じられる内容だったと思う。クラリネットの松田学さんの存在感が光った。特殊な奏法も含めて、素晴らしい安定感。音色、音量の変化にも、耳がグッと惹き付けられた。終盤の印象的なベルトーンは、かなり快速に進められて驚いた。「カトレーン」と指定が違うのだろうか。それとも小澤盤の録音が指定と違うのだろうか。両方の楽譜を見てみたい。

トゥリー・ライン Tree Line

この曲は、もう少し残響のあるホールでのほうが成果を感じ取れたかも知れない。打楽器の響きの減衰が遅く、といっても打音をあまり小さくすることも出来ないだろうし、難しそう。フルートの竹林秀憲さんの音色が瑞々しく、霧の中から聞こえる野鳥の声ような、爽やかな効果を出していた。最後は岸さやかさんのオーボエが、ステージ裏で美しいフレーズを吹いて終わった。セッティングの際に指揮者の前方にビデオカメラを設置していたので、何だろうと思っていたが、納得。この曲に限らず、武満の作品で管楽器は、音の途中でのずり上げやずり下げが指定されているけれど、それを聴衆の全てが分かっているか心配。「音痴だなあ」と思ってはしないかとw

そして、それが風であることを知った And then I knew 'twas wind

松村多嘉代さんのハープがいい雰囲気を出していた。そして竹林さんのフルートも濃い歌に溢れていたが、僕の席(中央)のせいか、松田美奈子さんのヴィオラが少し音量が小さめで残念。音色が濃くなったり薄くなったりするが、効果なのか自然とそうなったのかがはっきりとせず、といった感じ。ただそれも、僕がリファレンス用に聴いているものとの比較での印象なので、ああいう解釈なのかも知れない。最後、楽譜をヒラヒラさせながら袖に行かれるのはどうかと思った。この曲に限らず、全体的にステージマナーがこなれていない印象がする。

群島S. Archipelago S.

一番期待していた曲。この曲では、オーケストラは島に見立てられ、5つの場所に分けて配置されている。中央に金管楽器を中心としたグループ、下手にオーボエやハープと弦楽器の一部のグループ、上手にフルートやファゴットと弦楽器・チェレスタのグループ、そして客席の中央の左端・右端にクラリネット。その効果を感じ取るために中央の席を確保したのだが、このホールの広さでは、位置関係による音の差はあまりない(クラリネット除く)。というか、舞台上のグループ間の距離を見る限り、そもそもそういった効果を得るためにオーケストラが分けられているようでもなさそうだ。初演の際の写真を見てみたい。ここでもクラリネットはいい音色で、酔わせてもらった。右側のクラリネットに応答する左側のクラリネット、音色も似通っていて効果抜群だった。ホルンやトランペットのソロも良かったと思う。ただホルンにはフラッタータンギングか何かが指定されていると思うのだが、今日の演奏ではそれらから「音楽」よりは、吹き分けの「難しさ」を感じてしまった。最後の同音の繰り返しは、かなり速い。これはこれかなあ。

最後の演奏が終わり、客席に配置されていた2人のクラリネット奏者がステージに帰ってきた。野平さんが袖に入っていく。すると、右側で吹いていたクラリネット奏者が、ちょっとふざけてチェレスタ奏者を押しのけるようにして、チェレスタ奏者の椅子に2人で座っていた。これはいけない。「没後十年記念」と謳ってある演奏会で、この態度は勿体なかったと思う。普段から、子供たちを相手にサービス豊かに活動し続けている方々だから、ふとしたことでこういった態度が出てしまうのかも知れないが、最後に水を差されてしまったような印象。野平さんが武満への思いについて、没後10年の節目に実感を持って語られているような演奏会で、だよ・・・。作曲家を偲ぶという意図もあるはずだ。残念。

*1:ピーター・ゼルキン(Pf)、アイダ・カヴァフィアン(Vn)、フレッド・シェリー(Vc)、リチャード・ストルツマン(Cl)