常時ヴィブラートの波及とクライスラー - ヴィブラート関連
ノリントンの見解の整理。
ベルギーやオランダではどうだったのだろう? と言うのは、ヴァイオリン流派の一つ「フランコ=ベルギー派」の存在がどこかに繋がらないかと・・・。コンセルトヘボウの録音をまた参照してみよう。
続けて、孫引きになるが、金さんのブログでのノリントン見解の情報。
「continuous」はそのまま「連続」とか「常時」という意味合いで間違っていないと思う。ふむ。フリッツ・クライスラーは1875年生まれ、1911年には36歳ということになる。この前後にクライスラーが何をしていたかと言うと、大きな出来事としては1899年にベルリン・フィルにデビュー*1、その後は演奏旅行を続ける生活となり、20世紀に入ってからはイギリスに拠点を置いていたらしい。1910年にはエルガーの「ヴァイオリン協奏曲」を初演、献呈を受けている。そして、1914年には第一次世界大戦の開戦に伴い召集され、ロシアとの戦いで負傷。その後、戦争絡みの発言が元で、演奏活動を満足に展開出来ない状況が続いていたが、戦後、1919年にアメリカでの公演、1921年にイギリスでの公演、1924年にフランスでの公演、と活動に復帰していく。こういう状況のクライスラーの影響力については、周囲の反応を含め気になるところ。
*1:イザイが会場に居たらしい。何か記録が残っていないだろうか。