グスタフ・レオンハルトの言葉
モダンと古楽の違いについて、グスタフ・レオンハルトが話していること。古楽とは、それは私たちが忘れていたことを再発見することだ、というところに納得。
今までの古楽の流れを見ても、それは私たち皆が忘れていたことを再発見することにほかならなかった。もしかしたら、その「忘れていたこと」はもう残り少ないかもしれない。私自身、実際にもし見落としていることがあったとしたなら、取り組んでいることでしょう。音律にしても、バッハがどの音律を使っていたか、今でも結論の出せない問題なのですが・・・何の問題にしても、過熱したり、収まったりすることを繰り返して今日まで来ました。しかし、私はこういうアティテュード(態度)こそが古楽だと思っています。すなわち「最後まで行き着かない」ということこそが・・・。これはモダンの考え方とは根本的にちがっています。
どんな選択も演奏者の目を通した、一つの可能性にしか過ぎない。過去の演奏家達も、当時ある情報から鑑みて、一つ一つ選択をしていったワケだ。今、たくさんの情報を参照できる僕らの尺度で、「良い」「悪い」を判断することは出来ないと思う。歴史的な態度で接するなら尚更だ。だけど今の立場で、「こういう演奏が当時行なわれていたのではないか?」、「当時の響きはこうだったのではないか?」という可能性を、研究と想像で創り上げていく態度を持つことは出来るし、音楽をする上で必要不可欠の態度。見落としていることはないか、新しい考え方はないか、そういったことを敏感に察知するための態度。レオンハルトはそういう態度を持っているのだと思う。
ダニエル・ハーディングが「楽譜に書かれていることを100%忠実に表現しただけです」と言い切ったことを思い出している。金聖響さんが「ベートーヴェンも喜んでもらえると思いますけど」と言ったことも。どこから来るのだろう、その確信は。どんな選択肢を選ぶにしても、確実な答えは存在しない。それでも理想の響きを求めて、毎回の演奏会で信じることを試していく。そういう態度こそが、古楽に限らず、音楽に関わる姿勢の真理だと思う。レオンハルトをして「モダンの考え方とは根本的にちがっています」と言わしめた状況がモダンの側にあったことは残念だけど、多くの先人達が古楽を通して、音楽への取り組み方の見直しを図ってくれた。一つの方法が正しいと思い込んだ時点で、音楽は終わってしまう。現代の音楽家たちは、方法を真似るのではなくて、スピリットを真似て欲しい。