またピリオド・アプローチについて
ふと思ったのだが、若い指揮者にとって、ピリオド・アプローチの流行はチャンスなのかも知れないな。
日本人が西洋音楽をすることが奇異に見えた時代には、古典派の音楽を演奏することは特に、受容されにくかったろうと思う。小澤征爾にモーツァルトやベートーヴェンの録音が少ないことを見ても、ヨーロッパやアメリカで彼の演奏するそれらの音楽が求められて来なかったのかも知れないし、本人も演奏しにくかったのかも知れない。想像だけれども。あと円熟しないと手がつけられない重厚な音楽という、勝手なイメージが、僕を含めて日本人にもあるかも知れないな。
そこへ現代楽器でのピリオド・アプローチだ。皆が新しい響きに戸惑っている中、日本人であるとか、年齢が若いとかは関係が無い。どうやっても今までと違う響きになる。売れていくためにも、悪くない戦略な気がする。どうだろう?