Profile Archive

| 作編曲 | Music | Classic | Jazz,Inst. | Pop,Rock | Soundtrack |
| | メモ | 呟き | テレビ・映画 | Hatena | 未分類 | 購入CD | 購入本 | 購入DVD |

佐渡裕が得た仕事の種類と僕の思い出

佐渡裕が売り出された頃の謳い文句は「バーンスタイン最後の愛弟子」だったわけだが、これはバーンスタインの急死がなければ彼には付与されなかったものだ。今彼が行なっている「ヤング・ピープルズ・コンサート」や、彼が芸術監督を務める兵庫県立芸術文化センター管弦楽団の在り方などは、バーンスタインのアイデアやシステムを移管してきたものだ。そして大阪城ホールで毎年開催される「1万人の第九」を佐渡は1999年以来指揮しているが、その切っ掛けは、それまで指揮してきた山本直純の体調不良ではなかったか。そして「題名のない音楽会」。羽田健太郎の急逝に伴う暫定運営に終止符を打ったのが佐渡裕だ。

こう並べていくと、彼のキャリアの重ね方は、誰かがある程度整備したものを引き入れていくやり方であるように思える。そういう攻め方なのだろうか。けれど兵庫県立芸術文化センター管弦楽団は、システム自体は移管されたものにせよ、佐渡がゼロから関わったものだから、ここでの結果(集客だけではなくて)が問われているのだと思う。見守りたい。

佐渡裕が好きだった頃がある。彼の著作を読んで感銘を受けたのも本当だ。まだ彼がシエナを振っていない頃、サイン会で「吹奏楽は指揮しないんですか?」と訊いたのは僕だ。けど良く考えてみれば、僕が佐渡裕を好きだと思う気持ちの殆どは、居なくなってしまったバーンスタインの欠落感を埋めるためのものだったような気がする。佐渡バーンスタインの残像を見ていたのだろう。バーンスタインをもっと知りたいという僕の欲求に応えてくれる指揮者が、佐渡裕だけだったのだ。バーンスタインが遠い思い出になった頃、それと一緒に佐渡裕も僕の思い出になった。

ベルリン・フィルの指揮者になる」と書いた佐渡少年の夢はどうなったのだろう。思い出になっていなければいいのだけど。