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年下の作家、島本理生

島本理生の作品を続けて読んでいるわけだが、彼女の書く作品から受け止めたものが僕にとって特別さを持っていたり、出てくる文章の表現に頷いたりするごとに、今までにない感覚がやってきた。感情の逃げ道を塞がれたような、嫉妬が入り雑じったような。

そして思い至ったのだが、自分より年下の作家の小説を読むのは初めてかも知れない。彼女の生きてきた時間は、僕が生きてきた時間に含まれている。不思議だ。そして、作家の描く世界が新鮮である理由を、自分と作家の生きてきた時間の差に帰していたかも知れない僕自身に気付かされ当惑した。

村上春樹北村薫が青年だった時代を僕は知らない。僕がどうあがいても近寄れない過ぎ去った時代、その存在。僕の作家に対するファンタジーを醸成していたのはその存在だったのかもな、と。知らない領域があるから、その凄さや特別さを知ったように受け止めていた。

そして島本理生。彼女の生きてきた時代は僕も生きてきた時代なわけで、同じニュースをテレビで見ていたかも知れないし、同じものに触れたり近付いたりしているかも知れない。「生まれる森」を読んでいて、僕と同じ「人間」が書いていて、僕とは違う「人間」であることを思い知る。当たり前のことなのだが。そして書き手の感覚により近い視点で文章を追えている感触がずっと続いていく。この僕の変化に嬉しくなった。

村上春樹北村薫を読む時は、彼らが僕と同じ「人間」であることを僕は忘れているし、その事実を見ないようにしているかも知れない。今すぐ「1973年のピンボール」を、今すぐ「夜の蝉」を読み直したい。