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茂木健一郎の「情報倫理」と

茂木健一郎 クオリア日記: 情報倫理

竹内薫さんが書いたという「はじめての数式処理ソフト―Maximaで楽しむ数式計算と物理グラフィック CD-ROM付 (ブルーバックス)」へのAmazonでのレビュー*1をきっかけに、欧米での実名文化(?)の例を引きながら『「匿名で書かれた意見は、無視してかまわない』という極言を最後に述べておられる。

『匿名で何かを書くと、あたかもそれが社会の「空気」であるかのような錯覚が生じる』らしいけど、それは実名・匿名に関係がなくはないかな。実名で書いている人の中にも、社会の空気感を感じ取っているような素振りを根拠なく出す人も居るし、匿名で書いていてもバランスの取れた良いものを出せる人も居るだろう。新聞記事でもひどいものはあるし、匿名の投書でも的を得たものもある。比率の問題はあるだろうけど、不用意に二元論的に片方を切り落としていくのは勿体無い気がする。茂木さんの知り合いのテレビ・プロデューサーによれば、実名で書くようになれば、書かれている内容のクオリティが上がるそうだ。つまりクオリティのない意見は要らないということだろうか。

茂木さんは、竹内薫さんの本についての感想や、Amazonレビューで書かれたらしい内容とそれに対する批判にも言及しないまま「極言」を導いてしまっているが、僕はそこに個人らしさは感じ取れない。茂木さんが対談などでよく使われる主語「我々は」*2を思い出してしまうせいもあるのかも知れないが、『あたかもそれが社会の「空気」であるかのような錯覚』を生じさせているように思う。これは僕の偏見のせいだろう。

僕はここでずっと匿名で書き続けているけれど、ここでの人格が捨て難く、ここで起こった遣り取りを大切にしたい気持ちがある。ここで実名を書くことは、僕の実生活上への影響も十分考えられるので・・・。誰だってそうだろう。匿名でないと書けないことはある。背負うべき公人としての立場以外の視点から書こうと思えば、匿名で書くしかないのだ。公人・私人としての切り替えなく書ける人はいいかも知れない。いや、公人・私人の違いなく書かねばならない人は辛いかも知れないが、有名税ということでw 僕は匿名でしか書けない個人の考えを、僕自身のために書き留めていくつもり。無視されるのも結構だな、と今思った。そうだ、僕は僕を書く。

実名・匿名に関わらず、自著の評を全て読む梅田望夫さんのご意見を聞きたいところ。

*1:消去されている模様。

*2:高橋悠治さんとの対談で高橋さんに「なぜ"我々は"と言うことができるのですか?」と突っ込まれていた。