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金聖響のリハーサルDVDを見て

このDVDは、金聖響/オーケストラ・アンサンブル金沢ベートーヴェン「運命」のCDに特典として添付されていたものだ。「《運命》との対話」として、リハーサル風景と金さんのインタビューが収録されている。

このDVD、第三者的な視点からの描き方で徹底されていて、見ていて違和感が残る。CDを作って売る側の視点で描かれているものと、勝手に期待していたのだが、そうではなかった。CDに付けて売る以上は、主観は、CD発売元のワーナーなり、指揮者の金さんなりであるべきだと思うが、どうだろうか。

あまり面白くなかった…。楽員からの容赦のない意見が表明された、と、ブックレットにはあるが、そういった場面は収録されていない。ピリオド・アプローチの具体的な奏法等について示唆するような場面も無かった。残念。金さんが指揮台で話している内容も、それほどハッするような内容も無く。もちろん、演奏者の手の内全てを見せるわけにはいかないと思うが、プロモーションの一つとしてのDVDであるのであれば、何かそれなりの情報を一つでも盛り込むべきだったのではないかと思う。ただ悩む若者という感じで描かれているだけ。残念。

見終わって考える。現代楽器でのピリオド・アプローチ、正しいのかも知れない。意義あることなのかも知れない。でもそれは、本当に感動を連れてきてくれるのだろうか。音楽は人と人との関わり合いが根幹にあると思う。原点に帰る、作品に帰る、という取り組みは分かる。演奏者とベートーヴェンの濃密な関わり合いだ。でもそこで聴衆は意識されているのだろうか。媚びとは違う、何か。「僕らはこういう音楽をやるのだ」という強い意志が必要だと思う。そして作品への愛情が必要だと思う。クールに「これが正しいんですよ」「“解釈”って言いますけど、何それ?」と言われても、僕には、それは責任放棄に見える。詩の朗読を例に取れば、一言一句正確に読めていても、それが本当に正しいとは限らない。言葉が、その人の声となって、その人の気持ちが放射されてくるような内容でなければ、人には届かない。もちろん必要以上に抑揚をつける必要は無いが、その抑制された表情を作るためにも、解釈は必要だと思う。それに、ピリオド・アプローチを選ぶ、という解釈じゃないか。

これはやはり実演に接しないといけませんね…。て、もうセンチュリーの演奏会は無いのですかw