ドビュッシーの言葉
パリにワインガルトナーやリヒャルト・シュトラウスが指揮者として訪れ、ベートーヴェンの交響曲を演奏していったらしい。「気ままにふるまいすぎてパリを練習室がわりにするのは、やめてもらいたい」と強く書き、交響曲演奏に関してこう続ける。
ある人たちは<速める>だろうし、別の連中は<遅くする>だろう。そしてもっとも苦しむのが、かのあわれなベートーヴェン老である。ものごとをいつもまともに、しかも消息に通じている人たちは、だれそれの指揮者がほんとうのテンポをもっているなどとと公言するにちがいない。それにこうしたことは、会話のすてきな主題だ。あの連中はどこであれほどの確信を得たものだろうか? 死後の世界から情報を得たのか? 墓のむこうからそんな気のきいたことをベートーヴェンが教えてよこすなんて、いやはや驚きいった次第。
ドビュッシー音楽論集―反好事家八分音符氏 (岩波文庫)
今も昔も、人が考えることは同じようなことらしい。「どこであれほどの確信を」。