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山尾さんのブログ

山尾さんのブログで、金聖響さんへの丁寧な擁護(と言っていいものか…)論が掲載されています。

ドメインパーキング

ピリオド・アプローチと呼ばれてきた「原点に帰れ、作品に帰れ」という世界的にも注目されている流行(あえて流行と書いてしまうが)を自分から口にして実践していること。それから音楽に対する姿勢がブレなくピュアであること、をずっと続けてきているからです。彼の中には「作曲家が残したスコアをどうすれば可能な限り忠実に、そして現代の尺度で再現できるのか」ということしかありません(断言するが)。

極度の偏見でもって彼を見ている僕に向けて書かれているような内容で、ありがたいです。実際のところ僕向けですか? 使われているキーワードや、文脈から。と、自意識過剰が過ぎましたw

指揮者は音を出さない。だから、何を話したか、どういう態度か、何を演奏したかが問われる、複雑な立場の音楽家だと思います。普通の演奏家よりも、厳しい立場に立たされていると思います。特に「何を話したか」が重要ではないでしょうか。「何を話したか」は、音楽の話題に限らず、指揮者の口から発せられたこと全てだと思います。指揮者というもの、音楽と関係ないところでの言動で、どれだけ足を引っ張られるか、実際に指揮をしてきた僕は痛感しています。

その指揮者が音を出した瞬間に立ち会えて、演奏したCDを聴くことができて、そして感動をもらえれば、一番素晴らしい。何を話していようと、関係ない。ただ、その指揮者の「何を話したか」の情報と、その指揮者がくれた音楽とに乖離があったり、その指揮者の音楽の量以上の「何を話したか」が溢れていたりすると、僕は冷めてしまう。それに、演奏家を納得させることも難しいのではないかと思う。演奏してもらうことが、演奏する側の意図と異なる内容なのであれば、いくらそれが「原点」であれ、「作品」そのものであれ、指揮者の解釈として、丁寧にプレゼンテーションをしていかないといけないわけで…、と混乱してきた。金聖響さんを見ていて、聴いていて思うのは、そういう点です。

氏は音楽の話題だけに限らず、ゴルフ、阪神ナイトスクープ、と、かなり露出度が高い。この指揮者の考えること、趣味嗜好がどんどんと明るみに出ていく。素で勝負していると言えば聞こえは良いが、魔法がどんどんと失われていくような思いにかられる。どういう人間なんだろう。どういう音楽をやるのだろう。どういう指揮をするのだろう。そういう期待を感じさせる要素が、どんどんと失われていく。身近な人間になってきている、とでも言うか。

ここまで書いてきて、これは氏の戦略なのだろうかと思えてきた。氏は、映画に出て、ナイトスクープに出て、ドラマ(「それが答えだ!」)の音楽監修をして、ブログで音楽以外の話題を書いて、関西弁を喋って、半ばタレント的な人気を得ていく。氏が振れば、客が入る。客が入れば、オーケストラは氏を招ぶ。そういった背景を獲得した上で、オーケストラ側に受け入れられにくいピリオド・アプローチをやり続けていく。もしかして、そういうことなのだろうか? 一般聴衆への働きかけと、オーケストラ側への働きかけ、両方を志向している? ただ、もしこういうやり方を続けていても、オーケストラ側には根付いていかないのではないだろうか、と勝手なお節介。

あと僕の氏への批判癖は、上記の身近さから来る、嫉妬心が原因なのだろう。ああ、結局まとまらず。