ラヴェルのピアノ作品の演奏
ラヴェルのピアノ作品に、例えばリストの練習曲を弾くようなスタンスで取り組むことは許されていないのかな。僕はラヴェルのピアノ作品はあまり聴いてこなかったのだけど、ある人から熱烈に薦められて以後、気にするようにはなっていて、最近聴きながらそんなことを思った。もっとピアニスティックに、もっとクリアに、もっとバリバリと弾くわけにはいかないのだろうか。
この前に買ったばかりのアルゲリッチの録音。さすがにピアノ協奏曲では瞬発力抜群な感じで、クリアなバリバリ感は出ているのだが、これが独奏曲では曖昧模糊雰囲気重視系な音楽になってしまっている。「高雅で感傷的なワルツ」なんて、もっとピアノに戦いを挑むような弾き方をしてもいいのではないかと・・・。アルゲリッチでこんな状態なのだ。他に誰が期待できるだろう・・・。ラン・ラン?
ラヴェルの管弦楽作品の殆どは、バレエのための音楽を除くとピアノ作品からの編曲のはずだ。そのせいなのだろうか、ピアニストもオーケストラ的な発音や解釈を志向してしまうのかも知れない。あとは「ドビュッシー、ラヴェル」という印象派の括弧の中に納められてしまっていることへの先入観かな。二人の音楽はあまりにも違うのに。