マリナーとウォルトン
この前のN響アワーはネヴィル・マリナーが客演した定期の様子の放送だったわけだが、インタビューだけ見て残りは見ていない。録画はしてある。
「マリナー」と聞くとバロックなりモーツァルトなりを連想する人が少なくないと思うが、僕はマリナーのバロックやモーツァルトを一切聴いたことがない。実際どんな演奏なのだろう。あ、映画「アマデウス」の音楽はマリナーだったから、「一切聴いたことがない」のは嘘だ。モーツァルトの「レクイエム」を初めて耳にしたのもあの映画だったはずなのに忘れていた。角張った明晰な演奏だったような。
マリナーならウォルトンだ。ウォルトンのCDが今ほど出ていない頃、マリナー指揮のシャンドスへの録音を奮発して買っては渇きを癒すように聴いていた。マリナーの録音の響きの質の安定感は尋常でない。ずっと僕はウォルトン作品の美点は作品そのものに内包しているものとしてマリナー録音を聴いていたのだが、その後他の指揮者*1のウォルトン演奏を聴き、マリナー録音の耀きと重心の低さは作品の力ではなく、マリナーの力なのだと思い至った。僕をウォルトン信奉に引き入れたのはマリナーの仕事のせい。そう気付いた時、ウォルトンを離れて見ることが出来るようになった。
マリナーも80代だと言う。テレビに映ったマリナーは、僕の記憶の中のマリナーと比べるとちょっと太っていた。長生きして欲しい。