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ロジャー・ノリントン

こんな素晴らしいサイトが!

Sir Roger Norrington - ロジャー・ノリントンの話

含蓄のある言葉の多いこと多いこと! 昨年7月発売の「モーストリー・クラシック」でのインタビュー記事の一部が紹介されているが、

私は演奏というものは、インスピレーションに基づいて考えられたアイデアがみなぎっていなければならないと思っています。演奏には絶対というものがありません。過去の偉大な演奏、例えばヴィルヘルム・フルトヴェングラーの演奏は面白いと思います。その面白さは、正しいからというのではなく、面白く素晴らしい考えがたくさんつまっているからです。私もそうありたいといつも思っています。フルトヴェングラーと自分は比べられないと思いますが、情熱を持って、いろんなアイデアのつまった演奏を目指しているということでは、共通していると思います。

「演奏には絶対というものがありません」というところに大いに共感。作曲家が考えたことと安易に言い切らず、ノリントン自身が面白いと感じていることを土台に音楽をされている姿勢が感じられる。ノリントンの主体性が見えてくるじゃないか。それにノリントンが目指している音楽とは志向が重なるとは俄かには思えない、フルトヴェングラーの演奏への好意的な感想。「正しい慣習が壊れた」だの「悪しき伝統」だのと、十把一絡げに戦後の演奏史を否定するような態度とは、極端に異なる。この号、まだ入手可能だろうか?

いろんなアイデアを自身に詰め込んでいくために、これまで多くの時間を割いて来られた上での言葉。こういうのを読んでしまうと、やはり30代は若手指揮者ですね。歳をとった指揮者からでないと湧き上がってこない音楽が、やはりあると思う。

「pure tone」とは、ヨーゼフ・ヨアヒムの言葉らしい。ふむ。そして何とヨアヒムの録音は残っている。1903年録音のバッハやブラームス。ヨアヒムは1831年生まれなので、当時72歳ということになる。

ここから追記分です(2005-06-08)

id:SEEDSONWさんにコメントをいただきました。ありがとうございます。視界が広がる気分です。それを切っ掛けにノリントンの姿勢に関して。

過去のエントリで書かせていただいた(http://d.hatena.ne.jp/hrkntr/20060501/p3)こととも重なるのですが、ピリオド系の指揮者ということで、ノリントンは学究派的な扱いで見られることも多く、誤解や批判を受けることも多いと思います。けれども、ノリントンの楽しげな指揮姿を見れば、氏の研究のはじめには音楽への愛があることを強く印象付けられるのも事実。今はノリントンの文章を切っ掛けに色々な情報を参照させていただいた上で、ピリオド奏法を標榜している指揮者(ダニエル・ハーディングほか)を僕なりにどう受け入れていくかを模索しているところです。

id:SEEDSONWさんのおっしゃる「手段に過ぎない」という点は、ノリントンの音楽や言葉に接して、僕も感じました。ただ常時ヴィブラートという大きな壁が、現代のオーケストラにあるのも事実なので、ノリントンはその向こう側に芳醇な表現の可能性があることを、ヴィブラートのことを中心に情報収集し理論武装をした上で、オーケストラに理解させていく作業を行なったということに、僕は注目しています。

このエントリにリンクさせていただいているサイトでの訳文の多くを読んで感じたのは、音楽に対するノリントン自身の正直な感情でした。正しいから行なうのではなく、過去にそうだったから行なうのではなく、忘れられてしまったことを引き出すことで生まれてくる音楽が、ノリントンにとって面白く刺激に満ちたものだから行なっているのだな、と自然に伝わってきました。それは「作品本来の姿を求める」使命感のようなきな臭いものではなく、「どんな響きがするのだろう?」という、それこそ「pure」な好奇心に突き動かされている姿。歴史的な事実の検証や情報収集は一次的なものに過ぎず、その先にある環境の中に、ノリントン自身の個性を投影しやすい要素があるということなのでしょう。

結局、そこにあるのはノリントンが感じ求める音楽の姿であり、それを理解させていくための、常時ヴィブラート排除の理論付け。はじめにあるのはやはりノリントンの感情なわけですよね。そしてその責任を負う覚悟もノリントンは持っていると感じています。

まとまりませんが、楽しくなってきました!

ご紹介いただいた録音と書籍をメモ。

鎮魂?R.シュトラウス:メタモ

鎮魂?R.シュトラウス:メタモ

手元にある「音楽芸術1998年5月号 特集『古楽演奏の現在』」を読んでいたら、佐々木節夫さんの文章が掲載されていて、この録音も紹介されていた。

Classical and Romantic Performing Practice 1750-1900

Classical and Romantic Performing Practice 1750-1900