Profile Archive

| 作編曲 | Music | Classic | Jazz,Inst. | Pop,Rock | Soundtrack |
| | メモ | 呟き | テレビ・映画 | Hatena | 未分類 | 購入CD | 購入本 | 購入DVD |

言葉と音楽

音楽は、言葉が通じなくても伝わるコミュニケーション・ツールとして扱われている。演奏者と聴衆の間には、基本的に言葉を介す必要がない*1。音楽を作り、響きを届けて、色んな受け取り方をする。その幅が面白い。音楽凄い。

けれども音楽の作り手同士の場合は、そんな態度ではいけないのではないかと思う。例えば同じ言語を話す奏者同士である場合は、まず言葉で伝え合うほうが良い方向に音楽を導くのではないか。「このフレーズをこう演奏したい」「あなたの今の音色は全体の響きに馴染まないと思う」「もっと精度を上げて欲しい」「イントネーションが不安定だ」、色々な意見の交換をする余地が、音楽をする者同士にはある。意見交換することで洗い出された課題を、音楽で実践し検証していく。言葉を超えたレベルで音楽をするためには、言葉の効能を使い尽くしてからでなくては。

音楽を一つにするためには、後悔や不完全燃焼な雰囲気は残して欲しくはないし、そんな状態のエンターテインメントを楽しめるのだろうかと疑問を持つ。演者が確信を持てないものを、誰が信用すると言うのか。否定や意見のぶつかり合いが表面に出ずとも、それなりの音楽に、それなりの響きが出来てしまうところに、音楽の強靭と脆弱があると思うが、それに甘えてはいけないのだ。直接の言葉でのやりとりは、ともするとギクシャクとした局面を導くかも知れない。けどそれでも、一つの音楽を表出できる可能性が失われることはないのだ。だからこそ、言葉で伝え合う姿勢を失わずに居なければならないと思う。どうだろう?

*1:歌曲・オペラ・宗教曲は別だけど。