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ブルックナーという作曲家

然したる考えもなく書き始めるのだが、まあ許してもらおう。

ブルックナー。聴き始めた頃にはその名前に惹かれていた。友人から「ブルックナーがいいよ」と聞かされた時の、言葉に出来ないワクワク感。今はその気持ちは随分薄れてしまったが、ブルックナーを教えてくれた友人は今は銀行員だ。いやそういう話じゃなくて、ベートーヴェンモーツァルトブラームスチャイコフスキードビュッシー、そういう有名所な作曲家達に比べるとブルックナーは語感が全く違う。それに僕はこの作曲家のことを知らなかった。家にあった両親のLPにブルックナーは含まれていなかった。音楽の教科書や「鑑賞の手引き」にも載っていなかった。それまでの僕にとってクラシック音楽は、家にあったLPと学校の教科書だけで完結する世界だったのだが、クラシック音楽はそんな狭い世界ではなく、易々と全貌を見せてくれるような音楽ではないことを思い知らされた瞬間だった。今思えばそこで引き返して佐野元春だのビリー・ジョエルだのに入れ込んだままでいれば、人生を踏み外したとしか思えない今の生き方に行き着くことはなかったかも知れない。それでも僕はブルックナーという聞き慣れない語感に引き寄せられるように、深い深いクラシック音楽の樹海に足を踏み入れてしまった。

僕が育った街は田舎だ。本もCDもロクに売っていない。音楽のことを知りたくても、それを手繰り寄せる術が極端に限られた地域だった。そんな僕が頼りにしていたのは講談社現代新書岩波新書。新書には意外に音楽を主題にしたものが少なくない。講談社現代新書黒田恭一さん(はじめてのクラシック (講談社現代新書))、大町陽一郎さん(クラシック音楽のすすめ (講談社現代新書 51))、皆川達夫さん(バロック音楽 (講談社現代新書 291))、堀内修さん(はじめてのオペラ (講談社現代新書))。岩波新書岩城宏之フィルハーモニーの風景 (岩波新書))、柴田南雄グスタフ・マーラー―現代音楽への道 (岩波新書 黄版 280))、芥川也寸志音楽の基礎 (岩波新書))。彼らが書いた新書はすぐに手に入れることが出来た。そしてやはり避けて通れぬ宇野功芳さん。彼の「クラシックの名曲・名盤 (講談社現代新書)」や「名演奏のクラシック (講談社現代新書)」がなかったら、今ほどブルックナーを聴くことはなかっただろう*1。初めて買ったブルックナーのCDは、クナッパーツブッシュ/ベルリン・フィルの第8番だったが、聴いても聴いても全く理解できない。それでも宇野さんという一人の人間をあそこまで心酔させるブルックナーの魅力の謎に辿り着きたくて、諦めず聴き続けた。クラシック音楽を聴く上ではそういう態度が後から生きてくることがある。年配のクラシック・ファンの中には、「ブラームスしか聴かない」だとか、「マーラー以後は認めない」だとか、新しい音楽との出会いを拒絶するような方が居ることも知っているが、それは本当に勿体無い話で、ブラームスしか知らない耳でモーツァルトを聴くのと、シュニトケを聴いた耳でモーツァルトを聴くのとでは、全く聞こえ方が違うと思うのだ。どちらがいいとは言わない。「〜しか聴かない」と宣言することで失われてしまう世界に気付いて欲しいとは思う。既知の音楽の聞こえ方は、新しい音楽に出会い続ける度に変貌を遂げていく。未知の音楽との出会いを主体的に求めていくこと、その面白さを僕はブルックナーを聴き続けることで知った。

ブルックナー交響曲の中でも僕が好きなものは、実演に接する機会に恵まれたものに絞られてくる。演奏者の発する表現を聴き漏らすまいとする集中力が、その作品を手元に引き寄せたのだろう。第5番は本名徹次/京都大学交響楽団で、第8番は朝比奈隆/大阪フィルとウーヴェ・ムント/京都市交響楽団で、第0番は下野竜也/大阪フィルで聴くことが出来た。第7番もウーヴェ・ムント/京響で聴いた。第6番は実演では聴いたことはないのだが、入院した時に持っていったのが第6番のCDだったのだ。入院中のゆっくりと流れる時間の中で集中して聴いた経験が生きているのだと思う。聴けば聴くほどに、作品への思いが深まっていくような気がする。僕はあまり理解できない音楽を、率先してコンサートで聴くような癖がある。お金を払った分だけ、目の前の奏者の存在を感じられる時間の分だけ、その音楽が自分のものになる気がするのだ。

聴いた回数に比例して好き度が上がっていくのが、ブルックナーという作曲家の音楽なのかも知れない。少なくとも僕にとっては。ベートーヴェン交響曲などは、どれももちろん好きなのだけど、今一番好きなのは僕の中で消化し切れていない第8番や第4番であったりする。何度も何度も聴き続けた第5番や第6番、名曲としての認知度も高い第3番などは、ブルックナーの音楽で感じるのとは逆で、自分の手元から離れていってしまった気がする。これはどうしてなのだろう? 第6番「田園」の第2楽章が僕は大好きだった。今も好きだけど、その愛情は少し落ち着いたものになってきたように思う。

女性はブルックナーの音楽を好きにはならない、というのは誰から聞いた話だったろうか。余談。

ブルックナー体験を振り返ってみたりする。

ブルックナー : 交響曲第8番ハ短調

ブルックナー : 交響曲第8番ハ短調

これ、昔「セブンシーズ」というレーベルから出ていた録音と同じだろうか。僕が買ったのは国内盤で、続けて同じ指揮者とオーケストラの組み合わせの第9番を買った。全く分からない音楽だった。筋道立てて音楽が進んでいくベートーヴェンブラームスを好む耳では、弛緩する場所が多い気がして聴き通すのがつらかった。今は、三人に共通するパッションを理解できているとは思うが。

Symphony 9

Symphony 9

巷ではあまり評価を聴かないけど、僕は大好きなのがこの録音。熱いし、思ったよりも繊細な部分も。バーンスタインブルックナーを録音していなかったら、今ほど好きにはなっていないかも知れない。ウィーン・フィルとの録音は未聴だ。

ブルックナー:交響曲第4番

ブルックナー:交響曲第4番

今は銀行員の友人が貸してくれたのがこれ。冒頭のホルンの恰好良さに痺れた。が、それ意外は全く理解できず。スケルツォがかろうじてアンテナに引っ掛かった感じだった。僕がベームを知ったのもこの録音だ。

Symphony 6

Symphony 6

かつては「Arte Nova」から出ていたもの。これを入院時に繰り返し繰り返し聴いていた。

疲れた。やめた。

*1:もちろん今では宇野さんの断定的な論調に反感を覚えることはある。