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ストラヴィンスキーと黛敏郎について考えたこと

昨日はストラヴィンスキーが没した日だったらしい。

ストラヴィンスキーはその創作姿勢をだんだんと変化させていっている。「火の鳥」「ペトルーシュカ」を書いている頃は、ロシアの民謡などの素材を用いながらダイナミックなオーケストレーションが印象的な時代だ。「ミューズの神を率いるアポロ」などに代表される新古典主義的な作風の時代。そして、十二音技法にまで手を染めていく晩年。長く生きた作曲家には避けて通ることが出来ない姿勢の転換について、彼がどう語ったのかは知らない。ただ、それぞれで真摯に取り組んでいたことは信じられる。

岩城宏之がどこかで言っていたように記憶している黛敏郎の話。黛敏郎はヨーロッパの新しい技法を取り入れて、それをどんどん発信していった。「ミュージック・コンクレート」も「電子音楽」も。そして日本の作曲界が活性化した。しかし段々と情報の伝達が早まってきて、黛敏郎の役割は終わった。作曲家としての個性はなかったかも知れないが、情報を手に入れて発信する天才で、日本作曲界において黛敏郎は素晴らしい働きをした。そういう流れの話。

そんな記憶があったものだから、ストラヴィンスキー黛敏郎、作風は全く違うのだけれども、どこか通じる物を感じてしまったのであった。その時々の雰囲気に合わせて作風を変化させていったストラヴィンスキー、最新の技法を軽やかに実践して見せた黛敏郎。彼らの全人生を見通してみて、命を削って彫り上げたような作品は見つけにくいと思う。「春の祭典」と「涅槃交響曲」を例外として。

今日は「涅槃交響曲」を聴こう。