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「レコード芸術」新譜月評での「吹奏楽」ジャンルの設置に寄せて〜管楽器作品と吹奏楽関連の動きについて

音楽之友社から出ている雑誌に「レコード芸術*1」というものがある。僕は中学生くらいに存在を知って、高校生から大学にかけて購読していた。ここ数年は関心のある特集が組まれる時だけ買うようにしていて、暫く間があいていた。去年久々に知り合いに見せていただいたら、CD評や広告の景色の眺め方をすっかり忘れていてドギマギしてしまった。毎月買えるような環境に戻りたいと思う気持ちもあり、、、いや、それはまた別の話。その「レコード芸術」では「新譜月評」のコーナーがあり、新しくリリースされるCDについて批評が掲載される。「交響曲」、「管弦楽曲」、「協奏曲」、「室内楽曲」、「器楽曲」、「オペラ」、「声楽曲」、「音楽史」、「現代曲」とジャンル分けがされており、それぞれ2名の評者が執筆にあたっている。

評価は「推薦」「準推薦」「無印」の3つのランクのうち1つがつけられ、2名の評者の「推薦」がついた新譜は「特選盤」となるわけだ。例えば今すぐ閲覧できた「レコード芸術」2009年1月号の「交響曲」ジャンルでは、「カラヤン/ロンドン・ラスト・コンサート1988」に小石忠男宇野功芳の2人が「推薦」をつけて、「特選盤」となっている。

さて、この「レコード芸術」新譜月評のジャンルに、なんと「吹奏楽」が新設されたらしいのだ。今までは「管弦楽」のところで時折顔を出したりするだけだった吹奏楽演奏の新譜が、しっかりと紹介されるかと思うと嬉しくなった。「吹奏楽」の新譜というのは、同時代人の新曲や新編曲が並ぶことが多いので、演奏内容を問うというよりは、作品内容を問うことが多くなりそうではある。他のジャンルの新譜月評とはトーンが異なるのだろうか、と興味は尽きないのに、まだ買っていない。

日々新しい曲が生み出され淘汰されていく営みは、かつてのヨーロッパのオーケストラの演奏会の歴史がなぞってきたものに他ならない。その時のオーケストラ作品がそうであったように、すぐ演奏されなくなる吹奏楽作品のほうがきっと多いだろう。それでも吹奏楽、つまり管楽器を主体とした編成に向けて書かれた作品の中には、これからも残っていって欲しい作品や、何度もの鑑賞に耐え得る作品があるのだ。演奏という再現芸術の一翼に、吹奏楽も入っていく時代になってきたと僕は心を踊らせていた。

そんな嬉しさもあり、ツイッターで「レコード芸術」での「吹奏楽」ジャンル新設について発言をしていたところ、下記のようなレスをもらった。

  • そんなのバンドジャーナルでやりゃいいじゃんw ブラスはあんま好きじゃないんだよって人意外と多い。*2
  • クラシック音楽とブラスじゃ歴史的文脈が全然違うからクラシック的に見るとレコ芸でブラスを個別に扱うのは、根本的に場違いと云う印象が拭えない*3

ということなので、歴史的文脈を把握するためと、根本的に場違いなのかどうかを考えるために、かつて作った年表を公開してみる。比較的著名な作曲家の管楽器作品の年表と、管楽器を主体とする団体などの動き「吹奏楽関連の動き」としてまとめてある。ウェブで検索してヒットした情報や、最後に記す参考文献を基に整理している。間違いがある可能性もあるので、ご承知置きいただきたい。

なお、日本人作曲家の作品は、「日本での吹奏楽関連の動き」にまとめてある。

西暦 作曲家の管楽器作品 海外での吹奏楽関連の動き 日本での吹奏楽関連の動き
1772 イギリスの近衛歩兵連隊第1連隊のグレナディア・ガーズ軍楽隊(The Band of the Grenadier Guards)にホルン、ビューグルが加わる。
1789 パリにおいて国民軍軍楽隊が組織される。隊長は作曲家・ゴセック。
1790 ゴセック:葬送行進曲 パリの国民軍軍楽隊が編成増員し70名となる。
1792 ベートーヴェン:管楽八重奏曲 変ホ長調 作品103
ベートーヴェン:ロンディーノ 変ホ長調 WoO.25
パリの国民軍軍楽隊が経営難のため解散。
1793 ゴセック:軍隊交響曲 ヘ長調
1794 ゴセック:管楽器のための交響曲 ハ長調
1798 アメリ海兵隊軍楽隊(United States Marine Band)が32名編成の鼓笛隊として創設。
1800 アメリ海兵隊内に8名編成のバンドが組織され、翌年から大統領官邸内での演奏を担当。
1809 ベートーヴェン:行進曲 ヘ長調ボヘミア国防軍のための」WoO.18
ベートーヴェン:行進曲 ハ長調「帰営譜」WoO.20
1810 ベートーヴェン:行進曲 ヘ長調 WoO.19
ベートーヴェン:行進曲 変ロ長調 WoO.29
1813 シューベルト:管楽九重奏曲「小葬送音楽」D.79
シューベルト:管楽八重奏曲「メヌエットと終曲」D.72
1816 ベートーヴェン:行進曲 ニ長調「軍隊行進曲」WoO.24
1817 ライヒャ:木管五重奏曲 作品88
1818 ライヒャ:木管五重奏曲 作品91
1819 ライヒャ:木管五重奏曲 作品99
1820 ライヒャ:木管五重奏曲 作品100
1822 イタリア憲兵隊に“カラビニエーレ”というトランペット隊が創設(カラビニエリ吹奏楽団の前身)。
1824 メンデルスゾーン吹奏楽のための序曲 ハ長調
1832 ベルギー初代国王レオポルド1世の私有楽団としてベルギー・ギィデ交響吹奏楽団が創設。
1836 メンデルスゾーン:葬送行進曲 イ短調
1837 イギリスで金管のみによるバンド・コンテストが開始される。
1838 ドイツのヴィープレヒトがバルブ付き楽器による軍楽隊合同演奏会を実施。
1840 ベルリオーズ:葬送と勝利の大交響曲
1844 ワーグナー:葬送音楽 ジャン=ジョルジュ・カストネルの「ユダの最後の王」で初めてサクソフォンが使用される。
1846 アドルフ・サックスがサクソフォンの特許を取得。
1848 フランス共和国親衛隊の騎兵連隊に12名の騎馬ファンファーレ隊が創設(ギャルド・レピュブリケーヌ管弦楽団の母体)。
1856 フランス共和国親衛隊が隊員56名からなる吹奏楽編成の親衛隊音楽隊を編成。
アメリ海兵隊軍楽隊長にイタリア海軍出身のスカラが就任。
グレナディア・ガーズ軍楽隊長にダン・ゴドフリーが就任、57名編成となる。
1862 カラビニエリ吹奏楽団が24名の金管バンドとなる。
1864 ワーグナー:感謝の行進曲
1865 ブルックナー:行進曲 変ホ長調
1867 グリーグ:ノルドロークのための葬送行進曲(※ピアノからの編曲) パリ万博で行われた国際軍楽隊コンクールでフランスとプロイセンの軍楽隊が1等賞を受賞。
1869 サン=サーンス:行進曲「東洋と西洋」作品25
1872 グレナディア・ガーズ軍楽隊がアメリカへ演奏旅行。
ビゼーが「アルルの女」でサクソフォンを使用。
1877 リムスキー=コルサコフトロンボーン吹奏楽のための協奏曲
1878 ドヴォルザーク:管楽器のためのセレナード ニ短調
1879 音楽取調掛が設立。
1880 アメリ海兵隊軍楽隊長にスーザが就任(1892年まで在任)。
1881 R.シュトラウス:13管楽器のためのセレナード 変ホ長調 作品7
1884 R.シュトラウス:13管楽器のための組曲 作品4
1885 グノー:小交響曲 変ロ長調木管九重奏)
1887 音楽取調掛が「東京音楽学校」と改称。
1888 大阪鎮台に51人編成の軍楽隊が創設。その後、「第4師団軍楽隊」となる。
1889 タイケ:旧友
1890 東京音楽学校が開校。
1891 アメリ海兵隊軍楽隊が国内演奏旅行を開始。
1892
1893 東京音楽学校が「東京高等師範学校附属音楽学校」となる。
1894 シベリウス交響詩「ティエラ」
1896 グレナディア・ガーズ軍楽隊長にウィリアムスが就任。彼の時代に66名編成となる。
1897 スーザ:星条旗よ永遠なれ
1898 アメリ海兵隊軍楽隊長にライプツィヒ音楽院出身のサンテルマンが就任。
1899 アメリ海兵隊軍楽隊が60名に増員。 東京音楽学校東京高等師範学校から再独立。
1900
1901
1902 この頃にJ.F.ワーグナーが「双頭の鷲の旗の下に」を作曲 この頃J.F.ワーグナーオーストリア・ハンガリー帝国の軍楽隊長として活動。
1906 フローラン・シュミット:交響詩「セラムリク」
1909 ホルスト組曲第1番 変ホ長調 作品28-1
R.シュトラウスヨハネ騎士修道会の荘重な入場
1911 ホルスト組曲第2番 ヘ長調 作品28-2
1912 ドビュッシー:シランクス
1913 フローラン・シュミット:ディオニソスの祭
1914 フレデリック・フェネル誕生。
1918 イギリス空軍が陸軍から独立。
1919 オネゲル:牝山羊の踊り
1920 ストラヴィンスキー:管楽器のためのシンフォニー集 イギリス空軍に陸軍からエイマースを迎えて中央軍楽隊(Central Band, Royal Air Force)が創設。
1921 ルーセル邪教の儀式のためのファンファーレ グレナディア・ガーズ軍楽隊長にミラーが就任。
1922 ニールセン:木管五重奏曲
ヒンデミット木管五重奏のための小室内楽曲 作品24-2
1923 ヴォーン・ウィリアムズ:イギリス民謡組曲
ストラヴィンスキー:管楽八重奏曲
ゴードン・ジェイコブ:組曲「ウィリアム・バード」
イギリス空軍中央軍楽隊がイギリス軍楽隊の中では初めてラジオ放送に出演。 大阪第4師団軍楽隊廃隊。元隊員有志により「大阪市音楽隊」が創設。
1924 シェーンベルク木管五重奏曲
ヴォーン・ウィリアムズトッカータ・マルツィアーレ
ヤナーチェク木管六重奏曲「青春」
R.シュトラウスウィーン・フィルハーモニーのためのファンファーレ
1925 イベール:チェロと管楽器のための協奏曲
ヴァレーズ:インテグラ
1926 ヒンデミット吹奏楽のための協奏音楽(演奏会用音楽) 作品41
フォーシェ:交響曲 変ロ長調
カラビニエリ吹奏楽団長にチレネイが就任。
1927 エルガー:市民のファンファーレ
1928 ホルスト:ムーアサイ組曲
ヴィラ=ロボス:ショロス形式の五重奏曲
ワイル:小さな三文音
ショスタコーヴィチスカルラッティの2つの小品
イギリス空軍中央軍楽隊がアメリカ、カナダに演奏旅行。
1929 ハチャトゥリアン:行進曲 イ長調 作品20 ベルギー・ギィデ交響吹奏楽団がアメリカ公演を実施。
1930 エルガーセヴァーン川組曲
イベール木管五重奏のための3つの小品
ハチャトゥリアン:行進曲 ヘ短調 作品21
1931 ホルスト:ハンマースミス作品52
レスピーギ:バンドのためのバラード「ハンティングタワー」
東京音楽学校に「作曲科」を設置。
1932 ルーセル:栄光の日
グラズノフサクソフォン四重奏曲 変ロ長調 作品109
ハチャトゥリアンウズベク民謡による2つの小品 作品26
ハチャトゥリアンアルメニア民謡による2つの小品 作品27
1933 フランセ:木管四重奏曲
1934 大阪市音楽隊が大阪市直営となる。
神奈川県警察部警務課内に音楽隊が創設(1937年に解散)。
1935 プーランクフランス組曲
フランセ:サクソフォン小四重奏曲
1936 ケクラン:民衆の祭のためのコラール
ブリス:組曲「ケニルウォース」
警視庁音楽隊が創設(1941年に解散)。
1937 グレインジャー:リンカンシャーの花束
ケクラン:木管七重奏曲 作品165
大阪府警察音楽隊が、大阪府警察部教養課の一部門として創設(1943年に解散)。
1938
1939 ミヨー:木管五重奏のための組曲「ルネ王の暖炉」
ミャスコフスキー交響曲第19番 変ホ長調
モートン・グールド:ジェリコ−シンフォニックバンドのためのラプソディ
フェネルがザルツブルク・モーツァルテウムに留学。
1940 第1回全日本吹奏楽コンクール開催。
1941 フローラン・シュミット:サクソフォン四重奏曲 第2回全日本吹奏楽コンクール開催。
1942 コープランド:市民のためのファンファーレ
ショスタコーヴィチ凱旋行進曲
サミュエル・バーバーアメリカ陸軍に入隊。 第3回全日本吹奏楽コンクール開催(翌年から1955年まで休止)。
1943 シェーンベルク:主題と変奏 ト短調 作品43
R.シュトラウス:ウィーン市の祝典音楽
プロコフィエフ:行進曲 作品99
バーバー:コマンド・マーチ
1944 ミヨー:フランス組曲 イギリス空軍中央軍楽隊が110名編成でアメリカへ演奏旅行。
1945 大阪府警音楽隊が再創設。
1946 ミヨー:解放のための2つの行進曲 作品260 大阪市音楽隊が「大阪市音楽団」に改称。
1947 ギャルド・レピュブリケーヌに、オーケストラも編成できるように40名の弦楽セクションが増員される。
カラビニエリ吹奏楽団長にファンティーニが就任。
宮崎県警音楽隊が創設。
1948 ヒンデミット:管楽七重奏曲
フランセ:木管五重奏曲第1番
警視庁音楽隊が再創設。
1949 オーウェン・リード:吹奏楽のための交響曲「メキシコの祭り」 東京藝術大学が創立。
1950 神奈川県警音楽隊が再創設(以後、1980年までに全国各都道府県および皇宮警察に次々と音楽隊が編成された)。
1951 ヒンデミット吹奏楽のための交響曲 変ロ調
モートン・グールド:交響曲第4番「ウェスト・ポイント」
ミヨー:ウェスト・ポイント組曲 作品313
フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルが結成。 警察予備隊総隊総監部仮分遣隊が創設(陸上自衛隊中央音楽隊の前身)。
海上保安庁音楽隊が創設。
1952 アルフレッド・リード金管楽器と打楽器のための交響曲 フェネルがイーストマン・ウインド・アンサンブル(Eastman Wind Ensemble)を創設。 警察予備隊総隊総監部仮分遣隊が「保安隊音楽隊」と改称。
海上警備隊音楽隊が創設され、その後「警備隊音楽隊」と改称。
大阪府音楽団が創設。
1953 イーストマン・ウインド・アンサンブルが初の演奏会開催、最初のレコードをリリース。
1954 陸上自衛隊中央音楽隊が創設。
警備隊音楽隊が「海上自衛隊音楽隊」と改称。
1955 ポール・クレストン:祝典序曲 アメリ海兵隊軍楽隊長にサンテルマンの息子が就任。この頃の定員は100名前後。
ウィーン親衛大隊に57名の軍楽隊が創設され、ウィーン親衛隊軍楽隊となる。
黛敏郎:トーン・プレロマス'55
1956 メシアン:異国の鳥たち
パーシケッティ:交響曲第6番
第4回全日本吹奏楽コンクールが開催(以後、毎年)。
第1回全国警察音楽隊演奏会開催。
1957 阪急商業学園が設立。入学者は「阪急少年音楽隊」として吹奏楽に携わった。
1958 浜松基地にて航空中央音楽隊が創設。
1959 ブリテン:聖エドモンズ墓地のためのファンファーレ 團伊玖磨:祝典行進曲
1960 ジョン・バーンズ・チャンス:呪文と踊り 東京佼成吹奏楽団が創設される。
1961 ペンデルツキ:ピッツバーグ序曲
バーンスタイン:J.F.ケネディ大統領就任のためのファンファーレ
イーストマン・ウインド・アンサンブルがカーネギーホールで演奏。 黛敏郎:彫刻の音楽
1962 セルジュ・ランセン:マンハッタン交響曲
ティペット:プレリューディウム
イーストマン・ウインド・アンサンブル指揮者にローラーが就任。 黛敏郎:テクスチュア
1963 メシアン:天国の都市の色彩
ネリベル:トリティコ
アーノルド:小組曲第1番 作品80
ロバート・ジェイガー:交響曲第1番
東京吹奏楽団が創設され、第1回定期演奏会を開催。
黛敏郎:花火
1964 コープランド交響詩「エンブレムス」 兼田敏:若人の歌
團伊玖磨:オリンピック序曲
1965 メシアン:われら死者の復活を待ち望む
ブリス:6曲のロイヤル・ファンファーレ
ネリベル:交響的断章
イーストマン・ウインド・アンサンブル指揮者にハンスバーガーが就任。 朝比奈隆全日本吹奏楽連盟理事長に就任(1969年まで)。
1966 ロドリーゴ:管楽器のためのアダージョ
ジョン・バーンズ・チャンス:朝鮮民謡の主題による変奏曲
大栗裕が大阪フィルを退団。
大栗裕:吹奏楽のための小狂詩曲
1967 アーノルド:小組曲第2番 作品93
1968 リゲティ木管五重奏のための10の小品
ポール・クレストン:アナトリア(トルコ風狂詩曲) 作品93
1969 カレル・フサ:プラハのための音楽1968 浦田健次郎:メタモルフォージス
1970 ショスタコーヴィチ:ソヴィエト民警の行進曲
ネリベル:二つの交響的断章
カレル・フサ:この地球を神と崇める
フィリップ・ジョーンズ・ブラスアンサンブルがレコード・デビュー。 小山清茂吹奏楽のための木挽歌
1971 アルフレッド・リード:「ハムレット」への音楽 兼田敏:シンフォニックバンドのための「パッサカリア
1972 アルフレッド・リードアルメニアン・ダンス Part I
ジョン・バーンズ・チャンス:交響曲第2番
「ニュー・サウンズ・イン・ブラス」第1集が発売される。
斉藤高順が航空中央音楽隊隊長に就任(1976年まで)。
矢代秋雄吹奏楽のための祝典序曲「白銀の祭典」
1973 東京佼成吹奏楽団が「東京佼成ウインドオーケストラ」に改称。
大栗裕:吹奏楽のための「神話」-天の岩屋戸の物語による
1974 アーノルド:ブラス・バンドのための幻想曲 武満徹金管合奏のための「ガーデン・レイン」
大栗裕:大阪俗謡による幻想曲(※管弦楽からの編曲)
1975 アルフレッド・リードアルメニアン・ダンス Part II 「ニュー・サウンズ・イン・ブラス」第4集から東京佼成ウインドオーケストラが録音を担当する。
1976 イースマン・ウインド・アンサンブルが初来日。
1977 シュワントナー:…そしてどこにも山の姿はない
1978 第1回全日本アンサンブルコンテスト開催(以後、毎年)。

年表が長いので、トピックのない年を割愛した。あと私見・感想をポツポツと。

  • 古典派後期あたりを見てみると、やはり屋外での演奏が第一に想定されているためなのかも知れないが、行進曲が多い。葬送の音楽も、葬送の行列のイメージ出来るので、これも屋外志向だろう。ベルリオーズの「葬送と勝利の大交響曲」も屋外で演奏されたと聞く。
  • グノーの「小交響曲」とスーザの「星条旗よ永遠なれ」が12年しか離れていないということに驚いた。
  • アルフレッド・リードは1950年代には作品を書き始めていて、あの「金管と打楽器のための交響曲」は1952年の作ということだ。
  • アドルフ・サックスの特許取得後の動きがもう少し分かると嬉しい。サクソルン系統の楽器がどのように伝播していったのか。軍楽隊に取り入れられたのはいつ頃なのか、等々。1889年のタイケ「旧友」や、1897年のスーザ「星条旗よ永遠なれ」のオリジナル編成が分かればな・・・。
  • イーストマン・ウインド・アンサンブル以前から、管楽器だけの作品というものは少なくない。けど、編成が作曲家の自由なイメージで設定されていたり、委嘱する団体側の指定での編成であったりで、類型化できるものがないということなのだろう。
  • イーストマン・ウインド・アンサンブルをフェネルが始めた経緯としては、軍楽隊やいわゆるバンドの編成がまちまちであり、作曲家が思いもよらない倍管が行なわれていたりすることを原因として、イメージした音との大きな乖離があることがあったように記憶しているが、どうだったかな。もしかすると原典を重視する、ピリオド奏法へのアプローチのムーブメントと時期が重なっていたりはしないだろうか。作曲家への敬意を疎かにしないという態度。それは考え過ぎかも知れない。

参考文献

*1:レコ芸」と略されることが多い。

*2:該当のツイートは既に削除されている。

*3:該当のツイートは既に削除されている。