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サントリー音楽財団コンサート「TRANSMUSIC 2007」

トランスミュージック 対話する作曲家江村哲二 脳科学者・茂木健一郎を迎えて

http://www.suntory.co.jp/news/2007/9732.html

第2部:コンサート

齊藤一郎(指揮)
大阪センチュリー交響楽団

  • 江村哲二:ハープ協奏曲(1997)
    • 篠崎和子(ハープ)
  • 江村哲二:<<可能無限への頌詩>> 語りとオーケストラのための(2007・初演)

行ってきた。第1部は江村哲二さんと茂木健一郎さんのトーク。茂木さんが思ったより大きな体躯で意外。トークでは今ひとつ噛み合わない感じ。江村さんから投げかけられた質問や疑問符を、茂木さんがそのままに放置していくような瞬間が何度かあった。二人を繋げるものが結局何なのか、よく分からない。話の中身で思い出せるのは、

  • 江村さんは「脳とクオリア」に心酔している。「座右の書」とも。
  • 茂木さんは、奏者は自分が奏すべき部分しか書いていない楽譜(パート譜)を見て演奏していることに驚いた。
  • 作曲家はスコア(総譜)という全ての楽器の楽譜を書いていく。
  • 茂木さんによれば、江村さんはJ-POPなんて簡単に作曲できると豪語しているらしい。
  • 音楽は質感を表現できる。
  • タイミング。

とか、とか。それ以外は本とCDのプロモーションと、お互い著書や作品の褒め合い・・・。茂木さんのブログではいつも対談の音声ファイルが公開されているので、今回の第1部のトークが公開されることを期待しておこう。

武満徹ノスタルジア」を生演奏で聴くのは初めて。録音で聴くよりも、目の前で奏者が取り組んでいる姿を見ながら聴くと、より耽美的な表情が濃くなるように思った。大阪センチュリー交響楽団の技量の高さと、大谷玲子さんの美しい音には耳を奪われる。齊藤さんの指揮も安心できる。大谷さんの実演に接するのは三度目だが、色んな作品に対応できる抽斗の多さを感じる。名演奏。また別の感想で、武満徹の作品の中でも「ノスタルジア」は、廃れていくのが早いかも知れないとも思った。

江村さんのオーケストラ作品を聴くのは初めて。「ハープ協奏曲」と比べれば、「可能無限への頌詩」のほうが響きの作り方の丁寧さは高くなってきていると感じたが、どちらの曲も継続して聴かせる力が欠落しているように思う。グリッサンドやスビトフォルテを頻出させて、驚きを入れようとする工夫はあるのだが、僕はそれらを僕の中で繋ぎ合わせることが出来ない。未聴感も少ない。数あるインプットから物を生み出す以上、その何かからの無意識の影響を受けないでいられることは難しいし、出来ないとも思うが、それにしても「どこかで聴いた」ような懐かしさが多い。

「可能無限の頌詩」での茂木健一郎さんの英詩の朗読は、ネイティヴの人が聞けば、良くない発音なのだろうと思う。茂木さんの朗読中、ステージに居る外国人らしいホルン奏者の笑顔が気になって気になってw 微妙な眼差しを茂木さんに向かって投げかけていた。けれども詩に「言葉」としての意味を持たせるのではなく、オーケストラ側と同様にテクスチュアの一つとして扱うことを目的としていると江村さんの発言にもあるようなので、そういう意味では発音がどうのこうのということは然したる問題ではないはず。今日の初演の会場に集まった人々も、ほぼ全員が日本人なのだし・・・。でもその割りに、朗読の部分になるとオーケストラの響きが薄くなり、動きを止めるのは不思議だ。リフレインのような音形を独奏ヴァイオリンに担当させたり、ヴィオラや第2ヴァイオリンに弾き伸ばしを担当させたりしては、朗読にフォーカスを当てて行く。それは響きの一部の朗読ではなく、言葉としての朗読にシフトすることではないのだろうか。うーむ。

結局、全体としてはブーイングをするほどではなかったw

現代の作曲家は、言っていることやっていることがまだまだ新鮮で、音楽のみで判断し切れない点において負担が大きいように思う。江村さんが言っていること、書いていることなどを参照しながら作品を聴かざるを得ないし、ご本人も共著本の購入を勧めているくらいだから、言っていることややっていることを含めての鑑賞を望んでいるはずなのだ。現代の音楽を聴くことは作曲家が何を考えたのかを聴く行為、と言ったのは誰だったろうか。石田一志さんだったかな。江村さんが何を考えて、この作品を生み出したのか、受け止め方を考えたい。

それにしても、大阪センチュリーのレベルの高さには舌を巻いた。4人のヴィオラの音の太さはどうだ。イントネーションにも安心していられるし、オーケストラ内部でのソロも堂に入っている。大きなミスをしないホルンにブラボー。やはりこうでなくては。このレベルを維持して、こういう演奏会にどんどん取り組んでくれるのなら、このオーケストラには存在し続けて欲しいと思う。他のオーケストラと一緒になることで失われるものがきっとあると思うから。

何を考えて書き始めたのか、忘れた。あとあれだ、僕が座った周囲が茂木さんファンのような中高年の女性ばかりで、困った。トークに茂木さんが登場した瞬間から拍手が大きいし、普通笑うような箇所でないと思うのだが、茂木さんの発言で笑いが起こる。「可能無限の頌詩」で、僕の席の近くで詩を朗読した時も、目をキラキラさせて茂木さんを見つめていた。高橋悠治さんと茂木さんが対談した時に発言した「大阪のおばちゃん」も居たのかも知れない。こういう効果が「トランスミュージック」の求めることなのかも知れないな。関係のない分野に関心を持つ人々を、現代音楽の演奏会に呼び込むための手段として。