武満徹の室内楽を聴きながら
ここ最近聴いていたのは、中島美嘉「BEST」、くるり「さよならストレンジャー」、ゆず「いつか」、コブクロ「NAMELESS WORLD(通常盤)」、Puffy「JET CD」。詞があると音楽は伝わりやすいな。音楽があるから詞が伝わりやすいのか? 「愛してる」と言えば、「愛してる」と伝えようとしていることは分かる。
それはさておき、久々に武満徹の室内楽系統の作品を聴いている。「スタンザI」とか「ヴァレリア」とか。音の隙間の多さは、僕に緊張と集中を強いる。音と音とを繋げるのは、演奏家だけではない。歌なら例えば「僕」という詞が来た瞬間に、その後にどんな助詞が来るのか無意識に絞っていくことになると思う。「僕は」と来れば更に次の詞に繋ぐ選択肢を無意識に探していく。聴き手は知らず知らずのうちに音楽を一つの線にする作業に加担しているが、それは馴染みのある言葉の力を借りてのことなのでストレスなく流れを感じられる。けど器楽曲ではそうはいかない。流れの意識の仕方の違いで、聴き手によっては全く違う音楽の姿が現れる。ドーンと。そこが面白いところだし、難しいところ。流れを意識できなければ、ただただ漫然と淀む響きに身を置くことになる。それはきっと苦痛だ。自分を助け導いてくれるようなものを音楽の中に見付けることが出来れば、その人にとってクラシック音楽はきっと面白くなる。トランペットだけ聴くとか、旋律を覚えるとか。
武満の室内楽などだと、流れ自体も意図的に除かれている気もするので、更に面白く難しい。次は「環(リング)」。
それにしてもこの録音、かなり安くなってる。