何度も書くが
こういう趣旨のことをこれまでも何度も書いているが、何かの良さ悪さを論じる時、別の比較対象を紹介して、それより「良い」とか「悪い」とか言うことにどんな意味があるのか。感動の質は、人が経験してきたものの違いにより千差万別であり、短絡的に身近な比較対象を出してくることのほうが、その本人が言う“手の内が見える”行為にほかならないと思うが、どうか。
「音楽評論家」という肩書きを使うのなら、もっと多角的な切り口を用意したほうがいいし、言い訳のように自分のサイトで裏話を書くのは更に恥ずべき行為だ。こんな状況を目のあたりにすると、音楽評論が創造の域にまで達するのは、まだまだ先のようだとため息をつきたくなる。
それに、今頃になって慌てて作曲家について調べているようではお里が知れる。「聴いたことがない」、「知らない」、それを恥ずかしいと思えないで、なぜ売り物の文章を書ける?
と、ここで書く僕も同類だ。事態の展開を目指したい。