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金聖響のブログでも

金聖響のブログでも、岩城さんの逝去についてのエントリが立てられたようです。クラシックの演奏家の中にはブログを運営されている方も少なくないですが、その多くが、岩城さんのこの報に接しても呑気に日々の出来事を綴っておられるようで、その中で、静かに追悼の意を表された金さんの態度に感じ入りました。

そこで、上のエントリで紹介した「生涯指揮者 岩城宏之 ベートーヴェンとともにゆかん」という番組での岩城さんの話を紹介しておきます。

楽譜に忠実にやる、いわゆる一般的に解釈をしない解釈というのを、ますますやっている。つまり、一番難しいんですよ。身体のコントロールを自分でやったら、目立つし、やりやすいし。楽譜に忠実に、音楽的にやることはもっとも難しいからね。

と、言っても、どんなに楽譜に忠実にやろうとしても、全員(指揮者は)指紋が違うからね。自分の指揮になってしまう。それが自分の解釈であって、自分の何かを出そうとするのは、僕は邪道だと思う。

まず、「解釈」をしないことも「解釈」だと言及されている点。そして、楽譜に忠実にやることが、一番難しいと感じておられる点。それに、忠実にやろうとしても指揮者で違う音楽になってしまい、それが自分の解釈とお考えである点。

ベートーヴェンの音楽に長年取り組んでこられた岩城さんですら、こういった慎重さを持たれていました。同じオーケストラ・アンサンブル金沢に関わられている指揮者として、岩城さんのこういった考えや思いを、改めて咀嚼していただきたいと思います。「自分の何かを出そうとするのは、僕は邪道だと思う」という点では、同じ場所にお立ちなのですから・・・。