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小説家のエッセイと小説

どこかで書いたことがあるかも知れないけど、小説家の、エッセイと小説について。僕の感じ方。

小説家のエッセイとか対談とかを読んでいると、現実に生きている小説家が何を考えているのか、こちらが知りたくなくても情報として入ってきてしまうわけです。小説家によってはエッセイのほうが面白かったりもするので始末が悪い。と言っても、エッセイに書いてあることが本当のことかどうか分かりませんけど、エッセイから得た情報と自分が小説から受け取っている仮想世界とが繋がっていくことは必至なわけです。

で、小説家によってはエッセイに書いていることが、小説にそのまま出てきたりもする。現実の小説家が実際に口に出していることを、小説の中の登場人物がそれに近いニュアンスに近いことを言っていたり。そういう場面に出会うと、なんと言うか、厨房を見せられた後に作った料理を見せられたに近い感慨が残る。ちょっと興醒め。あの鍋で煮たんだよねー、とか、あの野菜を結局使ったわけだー、みたいな。それでもまだ、厨房で野菜を見て野菜炒めが出てくるのなら、興醒めしても納得はできる。厨房で鍋を見てカレーが出てきても同じ。

だけど、エッセイから感じられるメッセージと正反対の主張が終始行なわれていたりすると「?」という感じがするし、納得には繋がらない。厨房で鶏肉を見たのに素麺が出てきたり、玉子焼き器を見たのにピザが出てきたりすると、興醒めどころじゃなくて、当惑するじゃないですか! それなのに、「これが正しいんです!」とか、「あなたたちの想像の域を超えてる」とか言われたら・・・。いや、素麺もピザも大好きです。