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リヒャルト・シュトラウスの活動と「英雄の生涯」

リヒャルト・シュトラウスが「英雄の生涯」を書いた理由が、何となく見えてこないだろうかと期待しながら、ダラダラと。各年ごとに、作曲された代表的な作品を調べて並べてみた。と言っても、カンタータ「有能な人には早く幸せがくる」や「小間物屋の鏡」などはこれまで存在すら知らなかった。とりあえず作曲年にあてはまるものとして書いているだけ。

西暦(年齢) 活動 作曲 社会動向?
1864(0歳) 誕生。    
1876(12歳)   祝典行進曲 op.1  
1880(16歳)   弦楽四重奏曲 イ長調 op.4  
1881(17歳)   13の管楽器のためのセレナード op.7  
1882(18歳) ミュンヘン大学に入学。 ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 op.8  
1883(19歳) ビューローのアシスタント。 ホルン協奏曲第1番 変ホ長調 op.11  
1884(20歳)   13の管楽器のための組曲 op.4、交響曲 ヘ短調 op.12  
1885(21歳) マイニンゲン宮廷管の副指揮者。    
1886(22歳) ミュンヘン宮廷歌劇場。 交響的幻想曲「イタリアより」 op.16  
1887(23歳) マーラーと出会う。 おとめの花 op.22  
1888(24歳)   交響詩ドン・ファン」 op.20、ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調 op.18  
1889(25歳) ヴァイマール宮廷劇場。 交響詩「死と浄化」 op.24  
1890(26歳)   交響詩マクベス」 op.23  
1894(30歳) 結婚。 歌劇「グントラム」 op.25  
1895(31歳)   交響詩ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」 op.28  
1896(32歳)   交響詩ツァラトゥストラはかく語りき」 op.30  
1897(33歳)   交響詩ドン・キホーテ」 op.35  
1898(34歳)   交響詩英雄の生涯」 op.40  
1899(35歳)   5つの歌 op.41、2つの合唱曲 op.42、3つの歌 op.43、2つの大きな歌 op.44  
1900(36歳)   3つの合唱曲 op.45、5つの詩 op.46、5つの詩 op.47、5つの歌 op.48  
1901(37歳)   8つの歌 op.49  
1903(39歳)   家庭交響曲 op.53  
1905(41歳)   歌劇「サロメ」 op.54  
1908(44歳)   歌劇「エレクトラ」 op.58  
1909(45歳)   ヨハネ騎士修道会の荘重な入場  
1910(46歳)   歌劇「ばらの騎士」 op.59  
1912(48歳)   歌劇「ナクソス島のアリアドネ」 op.60  
1913(49歳)   祝典前奏曲 op.61  
1914(50歳)   無伴奏男声合唱のためのカンタータ「有能な人には早く幸せがくる」 第1次世界大戦。
1915(51歳)   アルプス交響曲 op.64  
1917(53歳) ベルリン高等音楽学校で教鞭をとる。 歌劇「影のない女」 op.65  
1918(54歳)   小間物屋の鏡 op.66、6つの歌 op.67 第1次世界大戦終わる。
1919(55歳) ウィーン国立歌劇場の総監督。    
1923(59歳)   歌劇「インテルメッツォ」 op.72  
1924(60歳)   ウィーン市役所のファンファーレ、ウィーン・フィルのためのファンファーレ  
1927(63歳)   歌劇「エジプトのヘレナ」 op.75  
1928(64歳) ベートーヴェン作品を電気録音。    
1932(68歳)   歌劇「アラベラ」 op.79  
1933(69歳) 第三帝国音楽局の名誉総裁就任。    
1934(70歳)   歌劇「無口な女」 op.80  
1935(71歳) 第三帝国音楽局の名誉総裁辞任。 2つの歌 op.88  
1939(75歳)   無伴奏男声合唱のための「孤独を通りすぎて」 第2次世界大戦。
1940(76歳)   祝典音楽 op.84  
1942(78歳)   ホルン協奏曲第2番 変ホ長調 op.86  
1945(81歳) スイスに移る。 メタモルフォーゼン 第2次世界大戦終わる。
1946(82歳)   オーボエ協奏曲 ニ長調  
1949(85歳) 死去。    

シュトラウスが「英雄の生涯」を書き始めるきっかけには、調性やタイトルから想像されるように、ベートーヴェン交響曲第3番」があるようだ。何でもシュトラウスが送った手紙の中に、そういったことに関する記述があるとのこと。原史料は確認できていない。

また「英雄の生涯」以後、交響詩とされた作品が一つもない。管弦楽曲はいくつか書いているので、管弦楽という分野に関心がなくなったわけでもないはず。ただ「英雄の生涯」から数年間は、歌曲と合唱曲の作曲が中心になっていて、その後の歌劇作曲家としてのシュトラウスの飛躍を考えれば、この数年間は鍛錬期間のように見える。

聞いたところによるとシュトラウスは、金の匙と銀の匙の違いを音楽で描けると言い切ったらしい。あるテーマさえあれば、簡単にスラスラと書けてしまう才能がシュトラウスにはあったのだろう。けれど、シュトラウス自身もそういった手軽に作品を書けてしまう自分が恨めしかったのかも知れない。もしくは歌劇やその他の分野への自身の展開を目指していたのかも知れない。

そして「英雄の生涯」、シュトラウスは、それまでの「交響詩作曲家」としての自分を描き、最後には「交響詩作曲家」としての自分を引退させる。そういうストーリーが彼の中にあったかどうかは、知らない。だけど「英雄の生涯」5つ目の部分にあたる「英雄の業績」での自作の引用の殆どが交響詩から採られている*1ことや、その後コツコツを声楽曲に取り組むシュトラウスの作曲姿勢を考えると、あながち有り得ない話ではない気がするのです。こう適当に書いてきてみて、僕はこの作品からはユーモアよりも、もっと真剣な覚悟に近いものを感じるようになってきた。照れ隠しみたいなのはある気もする。

ところで、金さんのブログ、トラックバックできないみたいですね。

*1:歌劇「グントラム」や一部の歌曲も引用されているらしい。