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音楽は個人的なもの

音楽は個人的なものだと思う。僕が聴く音楽は、その瞬間、僕のものだ。その音楽を聴いて僕が感じることは、僕だけのものだ。その音楽を聴いて、他の人は別の感想を持つかも知れない。いや、持つだろう。その違いが出てくることこそが、音楽の面白さであり、音楽を聴く喜びなのだと思う。音楽は個人的なもの。

僕はペーター・マークやフリッツ・ライナーの演奏するモーツァルトを聴いて、心から美しいと思う。ピリオド奏法の考え方から言えば、間違いがあるかも知れないけど、僕は美しいと感じて、僕にとっての大切なものとして誰かに話したりもする。ただそれだけだ。そこにはペーター・マークが、フリッツ・ライナーが真摯に音楽に向き合った結果がある。

ピリオド奏法に基づいた演奏を聴く。「これは作曲家の考えに沿ったものです」と演奏者が言う。この新しい響きを受け入れられない人は「古い価値観で判断している」みたいなことを言われる。もしくは受け入れらないと、こちらの「想像の域を超えてる」音楽だと言われる。違和感。どんな音楽だって、それぞれが音楽。自分が奏でる音楽が大切なのは分かる。何かを否定するのも別にいいと思う。だけど「わからない奴はついてくるな」に近い風なことまで言っておきながら、作品や作曲家についての調べが不十分というのは、おかしな話。

そしてもう一度書くと、音楽は個人的なものだと思う。どう奏でられようと自由だ。作曲家の考えに沿って、当時の響きを現代に再現するのであれば、そうすればいい。僕もそれを楽しんで聴くこともある。だけど、「作曲家の考えに沿ったもの」と標榜する以上は、そこには作曲家「個人」の雰囲気や、作曲家「個人」の存在が立ち上ってこなくはならないはず。