金聖響さんのインタビュー(「エロイカ」のコンサート等)
「classic NEWS」サイトで、金聖響さんのインタビューが公開されていた。
http://www.music.co.jp/classicnews/ram-file/2004/kin060412.ram
5月8日、9日の演奏会でのプログラムについて話されている。まず、モーツァルト「交響曲第39番」とベートーヴェン「エロイカ」を組み合わせた理由については、こういう感じ。
第一の理由は理解できるけど、内面的というのは、はっきりしない理由。「交響曲第39番」を内面的と表現するのはいいが、それが選び取る理由に直結しないような気がする。それに渋い調性って何だろう? 渋くない調性ってあるのだろうか。
続けてシェーンベルク「浄夜」と「エロイカ」を組み合わせた理由についても話されている。こういう感じ。
- オーケストラ・アンサンブル金沢が「浄夜」を徹底してやっている。
- 大阪センチュリー交響楽団の演奏会で「浄夜」とマーラー「交響曲第4番」とを組み合わせた経験がある。
- 曲の性質も違うし、存在した時代も違う、両極端。
- なかなかのマッチング。
- 僕らの西暦2000年を超えた時代にとっては、単純に古典の一つだから。
こちらも良く分からないな。組み合わせとしてはモーツァルトよりも面白いと思うが、理由を説明できないのなら、ただ「やりたいから!」と言ってしまったほうがいいと思う。いや、その前にマネジメントや周囲の人間と一緒に、後付けでもいいからプログラムの理由を考えて、インタビューに臨めばいいのにと思う。こういうインタビューはある意味、商品企画のプレゼンだと思うので、もう少し準備したほうが・・・。後付けでいけるプログラムの理由、例えば、シェーンベルクが「エロイカ」について、もしくはベートーヴェンについて言及した記録などは残っていないだろうか。もしあれば、それらを引き合いに出して、2つの曲の関連性を追求してみる。あとは、「浄夜」の原曲である弦楽六重奏曲版は1902年に初演されているそうなので、「エロイカ」の作曲年とほぼ100年違うというのはどうか。もちろん2曲とも、初演はウィーンだ。
続けてはこんな言葉が。クラシックのコンサートに関して。
K*1:そこで、はい、じゃあ座りました。拍手しました。で、終わりまで40分から1時間なんていうね、結構これある意味地獄だと思いますよ。ガマンして聴くというか。寝てしまう方も多いでしょうし、音聴きながら寝るっていう、とても気持ちいいことだと思うんですけど、癒しにもなりますが、だから、そういう意味で音楽と付き合ってくださる方が、コンサートに来てくださるのは、僕は全然問題ないと思いますし、単純に寝に来るというだけでもいいと思いますし。
I*2:とにかく接点を。
K:そうなんですよね。そうなんです。あんまり小難しいことを、実はやってるんですけれども、こんなに大変なんだ、こんなに難しいんだ、ということをあまり言うのもよくないのかなあ、と。単純にある種、楽しいものであるし、でも、楽しいだけじゃなくて、やっぱり心に触れるとか、琴線に触れるとか、単純に背中がゾクっとするとか、あのー、言葉にしちゃうと安っぽいですけど、感動するとかね。
I:感性に。
K:感性に訴えかける。音楽はただ聴くものだけじゃなくて、感じるもの、体感するもの、体験するもの。コンサートホールでしか感じられない。
そう、コンサートに行かないと感じられないものは必ずあると思うので、金さんのように人気を獲得している指揮者が、どんどんとアピールして呼び込んでもらえればいいと思う。寝に行く、というのもコンサートに行く目的の一つにしていいと思う。だけど、40分から1時間って、地獄かな? 好きになれれば、その時間さえも長くて短い、不思議な面白さを持ったものになると思う。だって、普通のポップスのアルバムでも40分なんてザラですよね。40分から1時間という長さも含めてクラシックの面白さでもあるわけで、それを退屈させずに聞かせる方策を演奏家には考えて欲しいと思います。それから、ここには引っ掛かる。「あんまり小難しいことを、実はやってるんですけれども」、言わなくていいw
そして、金さんの経歴についてのインタビューが続いた後で、こういう話。
K:だから、きっちり一個一個やればやる、というだけなんですね。今までも僕そのスタンス変わらないんです。どういう演奏会であっても。これ僕、ホントに子供達の演奏会から、特別演奏会、地方公演、定期演奏会、って、こうやっぱりある程度ランク付けみたいのをつけてしまうんですね、人ってのは。そら、ガクタイもそうなんですけど。そやけど僕は、その差はないんです。演奏会は演奏会でしかないから。
I:子供向けも大人向けも、皆やっぱりね、同じものとして。
K:そうです。朝10時開演でね、小学生の前で「おはようございます」って低い声で、起き抜けで喋れない(笑) だけども、それも、手抜かないですもんね。それはそれでちゃんとしないと。子どもってほら。
I:見抜きますから。
K:怖いですから、一番。だから、そこをやっぱり基本の自分の、その何だ、考え方として、どんな演奏会でも同じ感覚で行く、常に勝負でいくということは変わらないんで。
こう、当たり前のことを嬉々として宣言しないほうが・・・。それに演奏会のランク付けって、人はやっているのだろうか。「人ってのは」の「人」は、誰のことなのだろう? とりあえず、「ガクタイ」と表現しているオーケストラ楽員を含んでいるが、もし本当ならとても残念だ。それに指揮者がオーケストラ側を「ガクタイ」と言うのは、どうなんでしょう。自分を含めての「ガクタイ」なのなら、金さんもランク付けをしていることになるし、楽員を指しての「ガクタイ」ならオーケストラ楽員に失礼だと思う。それから、朝10時から起き抜けで喋れていないのに「気を抜かない」って、若干の矛盾。喋れてないのですか。定期演奏会のプレトークで「喋れない」ことがあるのだろうか。それに「子供が怖い」から手を抜かないのだろうか。自分が音楽に真摯で居たいから、手を抜かないのではないのか。
と、色々書いたが、ブログのコメントを見に行くと、皆さん好意的に盛り上がってますね。これはこれか、と思い直しつつある。もっと広く受け入れさせたいな、という僕の色気は必要ないかな。とりあえず、来月のリード作品集楽しみにしています。