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金聖響さんとベートーヴェン「エロイカ」

この5月8日・9日に、金聖響さんがベートーヴェンエロイカ」を演奏するそうだ。オーケストラはオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)。

http://www.asahi.com/event/TKY200604170295.html

金さんは同曲を、これまでにも20回ほど演奏しておられ、OEKとの出会いも同曲であったということで、ブログでもasahi.comの記事でも熱を込めて語っておられるのだが・・・。

難聴になる前、まだ若いベートーヴェンがピアニストしても活躍していた頃書かれた「英雄」は当時の音楽としては和声的に斬新、長大かつ難解な作品として評価された。
金 聖響 Official Blog 棒振り日記: Beethoven Symphony No.3 "Eroica"

ベートーヴェンが「エロイカ」を書き上げた期間は、1803年から1804年にかけてとされている。そして難聴が悪化し、いわゆる「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれたのは1802年10月だったはず。「エロイカ」が書かれるよりも前に、ベートーヴェンの難聴は始まっていて、ベートーヴェンはそれに苦しんでいたのではなかったか。そしてベートーヴェンは、忍び寄る難聴の恐ろしさを克服した上で、あの画期的で喜びと刺激に満ちた「エロイカ」を書き上げたのだ。

この程度の事実誤認では演奏に変化は出てこないかも知れないけど、ベートーヴェンが難聴の中で自らの中に響く音を頼りに「エロイカ」を書き上げたと考えるか、耳もよく聞こえピアニストとしても活躍していた頃に「エロイカ」を書き上げたと考えるかで、曲の捉え方には違いが出てきはしないか。金さんも書いているように、「エロイカ」が和声的に斬新であり、難解な作品とするならば、だ。その斬新さ・難解さを生み出した条件の一つに、ベートーヴェンが難聴になったことは外せない。ベートーヴェンは、それまでの響きの記憶をピアノなりの実際の音で確認する術を失いつつあり、自らの中から湧き上がる響きを信じて「エロイカ」を書いたのではないか。作曲家がその曲を書いた時の創作姿勢を考える際に、この違いは少なくない。

エロイカ」の長さにしても、難聴と一緒に考えるとどうだろう。目で譜読みをする場合と、実際に演奏する場合とでは、前者のほうが時間がかからないとされることが多い。ベートーヴェンはピアノで音を確認する能力がどんどん失われていくことで、演奏時間の感覚が鈍っていったのだではないだろうか。「エロイカ」が、その後の交響曲群と比べて長大なのは、難聴悪化の直後の作品であることが、おそらくその理由だろう。

金さんは『時代を超えて失ってしまった「耳と感性」を取り戻す努力をしたい』と続けている。しかし、そこにはベートーヴェンの「耳と感性」は含まれないのだろうか。聴こえなくなりつつある「耳」を研ぎ澄ませながら、「交響曲第2番」までとは違う「感性」で彫り上げた「エロイカ」。作曲家を大事にすると提唱され演奏活動を続けておられる金さんだが、ベートーヴェンの感覚を想像する際のこういった不十分な点を見せられてしまうと、残念な思いが残る。「原典に忠実」というのは、どの楽譜を選ぶかの違いだけではなく、どの奏法を採用するかの違いだけではないはず。作曲家の考えたことを探し当てるための、果てない道程なのだ。

現代に流行している「ピリオド・アプローチ」とは、こういった程度のバックボーンに支えられているのだろうか。本当に「ピリオド・アプローチ」を普及させていきたい、その新鮮な音楽の響きを多くの人に感じて欲しいと思うのならば、そしてそれをオーケストラに演奏してもらう立場なのであれば、最低限の理論武装はしたほうがいい。採用したピリオド・アプローチを「これが作曲家を大事にするやり方」と言っても、ベートーヴェンの精神状態を想像する上で不完全な点を見せられては、説得力は出てこないのではないか。金さんの傍に居る人たちは、もっと彼を助けてあげるべきだと思う。ブログに書く前に少し調べれば分かることなのだから・・・。まあ、こんなことを指摘するのは僕だけなのだろう。

とりあえず、来月のリード作品集は楽しみにしています。