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ピカルディ終止

バロック音楽で多用される、短調の曲でも最後の音だけは長三和音で終わらせる終止(「ピカルディ終止」というらしい)について色々調べていた。考えていることや、記憶の整理。

この前から再読している「バッハの音符たち―池辺晋一郎の「新バッハ考」」に、バロック音楽でピカルディ終止が多用される理由としてこうあった。

長3和音は自然和音すなわち自然界に物理的に存在するものなのだが、他方、短3和音は、長3和音になぞらえて人工的に作ったものなのである。したがって不安定。短3和音で終わっても終わった感じがしない。
と、昔の人は感じていた。

池辺晋一郎さんは「昔の人の耳の方が敏感だったのかも」と最後にコメントしている。なるほど、完全五度が鳴れば、響きの成分として長三度の三音が聞こえると言われるし、短三和音ではその自然な響きに割り入るように短三度の音が鳴り響くわけで、その二つを聴き取って「終わった感じがしない」と思えるのは、耳が敏感なせいかも知れないな、と思う。とは言え、バロックまでの音楽しか聴いていない耳であれば、自然に短三和音の響きに違和感を感じることが出来るのかも知れないが。

そう言えば、小学生の耳には短調を聴き取ることが難しいというのを聞いたことがある。情報のソースは忘れた。長調の曲を流して「これは長調短調?」と訊くと殆どの子ども達が長調と答えるが、短調の曲を流して同じ質問をすると回答が分かれる、という話。小学生の耳は、短調短調と聴き取る能力は少ないが、自然な長調の響きは耳に染み付いているということか。

また今思い出したのだが、以前、指揮者の蔵野雅彦さんの講習会を聴講した際、氏は「短三和音は厳密な平均律で取るしかないんです」と言われていた。完全五度を丁寧に響かせてしまうと、長三和音の構成音が聞こえ、また聴衆にも想像させてしまうため不協和が更に強調されてしまう、というような趣旨のことも言われていたように思う(かなり曖昧な記憶)。ハーモニーを響かせることを志向するよりも、それぞれが正しい音程を出すことが大切、という話の流れだった。

ここで平均律から繋がって、バッハの時代は平均律が取り入れられていく過程。バッハ自身も曲集まで準備して、率先して平均律を取り入れていっているように思える。バッハと言えば、フーガやカノンと言った、ポリフォニックな音楽が代表的なわけで、平均律の音程を基調とする短三和音の響きにも免疫もあったのではないかと思う。

池辺さんの「バッハの音符たち―池辺晋一郎の「新バッハ考」」では、「トッカータとフーガ ニ短調」の最後が、ピカルディ終止ではなく短三和音であることを指摘しているが、僕にとってバッハのピカルディ終止でない曲と言えば、マタイ受難曲の最後のコラール。モノクロームな響きが最後まで続き救われない感じが、何とも味わい深いと思う。

また色々聴き比べてみよう。