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小澤征爾の指揮する協奏曲

この録音、皆さんベタぼめですね。特にこの商品のところの評など、手放しで大賞賛だ。特に気になる記述が。

小澤のバックも、グラマラスで重心の低い、意志的な響きと弾力的なリズムが、

本当にそうだろうか? グラマラス? 彼のやっていることはそれとは全く逆方向だと思う。例えば、第2番第3楽章の最後に主題を再現する箇所、ここでのピアノは大きなシンコペーションと、運動的な和音を響かせるが、ここでの小澤征爾は何もしていないように感じられる。主題を再現しているのはオーケストラ側だと言うのに・・・。どこか、音楽の表現、解釈を放棄してしまっているように感じる。音のフォーカスは常にピアノに向けられたまま、このような演奏なら、オーケストラ部分とピアノ部分は別録りでも構わないのではないか。それにこの演奏で重心が低いのだったら、アーロノヴィチやバティスの指揮はどう表現したらいいのだろう。ピアノが黙って、オーケストラだけになると急に大騒ぎをするが、協奏曲はそういうものではないのではないか。管・弦・打の色々な音が絡まり、その上にピアノが決然と音を綴っていく、その瞬間瞬間で協調と拒否があって、その関係から新しい音楽が生まれる。そういうものではないのか。金管楽器の適当な吹き伸ばし、歌の無い弦楽器、深刻さのかけらもない低音部、賞賛できる箇所が殆どない。

いや、決してダメな録音ではないのだが、皆揃って褒めるのもバカらしいし、僕の感性が「信用するな」と言ってるので、僕はもう暫くこの録音批判を続けようと思います。この録音、音楽之友社レコード芸術」の2004年レコード・アカデミー賞で銀賞受賞してるのですね。そういえばかつてもエフゲニー・キーシンが弾いたピアノ協奏曲第3番がレコード・アカデミー賞にノミネートされてましたね。周りは敵ばかりのようです。

〜〜〜

記憶を辿っている。あまり明瞭な記憶ではないが、アルゲリッチと小澤さんは日本で共演したことがあるらしく、その時は例のアルゲリッチの、ある意味強引とも言えるアゴーギグに合わすことができずに崩壊寸前だったとのこと。もしかして、小澤さんの協奏曲でのポーカーフェイスは、この出来事のせいだろうか?w ちょっとトラウマ、みたいな。

小澤さんがアンドレ・ワッツと共演した、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番の録音が手元にある。ここでの小澤さんは意外に雄弁。と、録音年を見ると1969年。上記の出来事がいつだったか、だ。調べてみようか。

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ツィマーマンを聴いていて、小澤さんと大江健三郎の対談本を思い出した。その本に小澤さんがツィマーマンとの共演を語る箇所があって、ラフマニノフが書いた音を全部弾いたのは、ツィマーマン以外一人もいない、みたいなことを言ってたような。それは、ちょっと他のピアニストに失礼じゃないかと思った覚えがある。

気になったので、手元の本をめくる。ありました。

小澤
彼とずうっと二週間ぐらい付き合って入れた*1んですけど、彼は作曲家じゃなくて、エネルギーを全部指に込めるというか、ラフマニノフが書いた音を全部まず弾く。そうやったわけ。
大江
はあ。
小澤
いままでこれをやった人は一人もいないですね。ラフマニノフ自身もできてないんですよ。

同じ年に生まれて―音楽、文学が僕らをつくった」p.185 より

やっぱりこれは失礼な話だと思う。小澤さんはラフマニノフの自作自演(asin:B00005EGCT)を聴いて、ラフマニノフ自身もできていないと考えたのだろうが、作曲家ができていないからと言って、「いままでこれをやった人は一人もいない」と言い切って良いものか。あと、「ずうっと二週間ぐらい付き合って入れた」ということは、かなり編集入っているでしょうね。

ラフマニノフの時代を指してこんな発言も。

小澤
とくにあの頃の録音は、いまみたいに小間切れにできませんから、実際に演奏しているのを入れているわけです。

同じ年に生まれて―音楽、文学が僕らをつくった」p.185 より

ということは、「いま」のこの録音は小間切れなんでしょうね・・・。

*1:hrkntr注:「録音した」