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ドラマ「こころ」の音楽

朝の連続テレビ小説「こころ」を思い出しながら聴く。いきなり仲村トオルが死んで呆れ、客室乗務員や花火師や医者や鰻屋と、どれだけ職業絡めて来るんだよという点に呆れ、阿部サダヲがうるさかったのに呆れ、と、とりあえず楽しんだドラマだったな(説得力なし)。結局ドタバタな内容が中心的なのだけど、時折こちらがしんどくなるほどの事件が起きたりもして、油断ができないドラマだった。で、このCDを聴くのだけど、ドラマの内容に寄り添うように、音楽のジャンル的にはごった煮のような様相を呈していて、これはこれで楽しい。音楽を担当した吉俣良が消化してるジャンルの多さには関心した。

古典派の延長としてのシューベルトの交響曲

Sym No 9

Sym No 9

シューベルト交響曲は、古典派と意識して演奏・鑑賞したほうが、よりロマン的な風情を感じられるような気がする。モーツァルトハイドンを演奏するように、音の色彩と響きを丹念に整える。そしてその上で染み出してくる表情を待つのだ。古典の枠をまず意識させてこそ、シューベルトの歌謡性が生きるのではないか。「モーツァルトが作曲した」と意識するからこそ、モーツァルトの「交響曲第40番」の特異性が際立つのだと思える。ベートーヴェンの「交響曲第1番」を知っているから、「交響曲第9番」までの変化とその突出ぶりを楽しめる。それと同じで、シューベルトを古典派の延長線上の作曲家として鑑賞してみたい。具体的にどう考えればいいのかは分からないのだけど。

ギュンター・ヴァント/ベルリン・フィルのこの演奏を聴きながら、そんなことを考えていた。生まれた年こそモーツァルトベートーヴェンよりも後だが、その生きた時代は、ベートーヴェンの活動期間にほぼ重なるシューベルト。何しろベートーヴェンが没した翌年に、シューベルトも亡くなっているのだから。

シューベルトは誰かから影響を受けただろうか。師事したというサリエリから何かを受け継いだのだろうか。シューベルトが残した多くの歌曲の形態は、シューベルト以前には存在していたのだろうか。

シューベルトの音楽を、その素材だけで楽しむことはもちろん可能だ。けれど、まだ深められてはいないように思える音楽史の中でのシューベルトの位置、それを見出すことが出来てこそ伝わる何かがあるようにも思える。シューベルトは不思議な作曲家だ。僕にとっては。